「ウルトラQ」製作の経緯 (Wikipediaより) |
当時テレビ映画は通常16mmフィルムを使用しており、テレビ局側には35mmテレシネ用プロジェクターを導入する意味はなかったが、円谷英二の「16mmのクォリティでは特撮は出来ない」との主張により劇場映画用と同じ35mmフィルムで撮影するという手法が採られた。この破格の撮影環境に、TBS映画部より出向した中川晴之助監督が「カネゴンの繭」でうっかり16mm撮影の調子でキャメラを回し続けて、他の監督から「フィルム喰いのハルゴン」とあだ名を付けられた、というエピソードも残っている。次作「ウルトラマン」からは、特撮を35mm、本編を16mmで撮影する体制が採られている。 『UNBALANCE』には東宝のスタッフ・キャストが数多く集められ、放送スケジュール未定のまま1964年9月下旬から撮影が始まった。本邦初のSF怪奇アンソロジーとして5本のエピソードがほぼ完成していた(うち2本はラッシュフィルムの状態)『UNBALANCE』だったが、対象視聴者層をより明確にしたいというTBS側のプロデューサーの意向により、怪獣路線へと変更を迫られることとなり、番組のタイトルも11月に『ウルトラQ』へ改められた。このタイトルは、当時の流行語「ウルトラC」を元に、TBSの編成部が考案したもので、視聴者に「これは一体何だ?」と思わせる高難易度のクエスチョン、そして高度のテクニックを駆使した特撮テレビ映画という二重の意味が込められていた。 TBSでは社内での調査取材の結果、「日曜夜7時からの放送が最適」と考えていた。この時点で65年4月のスタートを予定していたものの、さらに第2クール13本の追加制作が決まったために今しばらくの準備期間が与えられることになった。TBS側は多額の制作費を回収するため、スポンサーに高額な提供料を強いるのは無理だということを十分認識し、「じっくり時間をかけ、全シリーズを制作してから、腰を据えて放送にかけるのが諸般の事情から最高の策であろう」という姿勢で臨み、制作現場には放送開始の遅れに対する焦りは見られなかったという。 放送開始日時が正式に決定したのは、65年9月末のことである。これを受けてTBS内で「ウルトラ連絡協議会」が発足し、TBSとその系列局・円谷特技プロ・武田薬品・広告代理店の宣弘社が一体となって10月から大々的な宣伝作戦を展開していった。 |
1「ゴメスを倒せ!」 | 2「五郎とゴロー」 | 3「宇宙からの贈り物」 | 4「マンモスフラワー」 | 5「ペギラが来た!」 | 6「育てよ!カメ」 | 7「SOS富士山」 |
8「甘い蜜の恐怖」 | 9「クモ男爵」 | 10「地底超特急西へ」 | 11「バルンガ」 | 12「鳥を見た」 | 13「ガラダマ」 | 14「東京氷河期」 |
15「カネゴンの繭」 | 16「ガラモンの逆襲」 | 17「1/8計画」 | 18「虹の卵」 | 19「2020年の挑戦」 | 20「海底原人ラゴン」 | 21「宇宙指令M774」 |
22「変身」 | 23「南海の怒り」 | 24「ゴーガの像」 | 25「悪魔ツ子」 | 26「燃えろ栄光」 | 27「206便消滅す」 | 28「あけてくれ!」 |
001 ゴメスを倒せ! ★★★★ |
スタッフ | 脚本 千束北男 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 江原達治 富田仲次郎 |
特殊技術 | 特技監督 小泉一 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年1月2日放送 | 美術 井上泰幸 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率 32.2% | ||||||
記念すべき「ウルトラQ」第一話。私は当時9才。放送時間にはテレビの前でかじりついて見た覚えがある。 それまで映画館でしか見る事の出来なかった怪獣物がテレビの前で毎週見ることが出来る。当時の少年達は期待に胸を膨らませてワクワクして見たはずだ。 「ゴメスを倒せ!」の撮影自体は、シリーズの中では12番目の製作だが、やはり第一作は「怪獣」が主役の回がいいだろうとセレクトされたのだろう。 ゴメスは多分ゴジラの古いヌイグルミを加工して頭部だけを新たに作ったのだと思う。身長設定が2.30mだろうか、工事現場の精巧なミニチュアセットが作り込まれている。また本編特撮ともに35mmで撮影されているので合成画面がとても鮮明だ。 東宝の怪獣モノと言えば、怪獣を退散させる役割はほとんどが自衛隊だが、この「ウルトラQ」は自衛隊はほとんど出てこない。この回はリトラと共に自滅していく訳だが、石坂浩二ナレーションの「・・・東京弾丸トンネルの入口に今もリトラの銅像が建っている」と締めくくるラストが印象的だ。一種の寓話となっている。30分番組という制約を逆手に取った構成が素晴らしいと思う。 特技監督の小泉一は元々東宝撮影所の本編キャメラマン。 1957年の「地球防衛軍」で初めて東宝特撮の本編キャメラを担当。以来「美女と液体人間」「大怪獣バラン」「宇宙大戦争」「ガス人間第一号」「モスラ」「妖星ゴラス」「キングコング対ゴジラ」「マタンゴ」「海底軍艦」「モスラ対ゴジラ」「宇宙大怪獣ドゴラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」「フランケンシュタイン対地底怪獣」等を担当。 そしてこの「ウルトラQ」では、第1話「ゴメスを倒せ!」、第6話「育てよ! カメ」、第9話「クモ男爵」の特技監督を務めた。 円谷英二とは長い付き合いだったと推測されるが、人手が足りなく、あるいは本人が一度特技監督をしたいと願ったのか、ともかくベテランのカメラマンであるから,円谷は安心して任せたのではないだろうか。 この回の特撮シーンはトンネル以外は1シーンのみだが、このセットはオープンではないだろうか?本編とまったく難なく繋がっている。 この後ね再び東宝特撮の本編キャメラマンとして、「怪獣大戦争」「サンダ対ガイラ」そして1967年の「キングコングの逆襲」を担当。 またテレビ番組でも、1969年の「鬼平犯科帳」、1972年の「ウルトラマンA」等で撮影を担当している。 監督の円谷一(1931-1973年)は当時TBSのディレクターで円谷英二の長男。1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。特に子供の描写が得意とされた。1963年、TBSがテレビ映画の自社製作を行なうために映画部を設立すると、飯島敏宏、中川晴之助らとともに映画部に移籍して、TBS初の特撮テレビ映画『ウルトラQ』の制作にあたった。『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といった特撮番組の監督を務め、奇抜な演出方法が周囲に理解されずTBSで干されていた実相寺昭雄を拾うなど、シリーズの隆盛に力を尽くした。 1970年、父・英二の病死によりTBSを退社し、39歳の時に円谷プロダクションの社長に就任。財政難から、危機的な経営状況にあった同社の経営建て直しに奔走する。社長と監督は兼任できないと宣言して、以降はプロデューサーとして作品に携わるようになる。同年『ウルトラファイト』の制作を開始。この番組の人気により、本格的な特撮番組を求める声が高まると、1971年に『帰ってきたウルトラマン』、『ミラーマン』(フジテレビ)をプロデューサーとして制作し、第二次怪獣ブームの火付け役となる。以降、『ウルトラマンA』等の番組の制作にも携わるが、社長就任以降、営業周りに奔走した結果、持病だった糖尿病および高血圧が悪化し、1973年2月9日、起床直後に脳溢血を発症して突然倒れ、病院に搬送されたが間もなく死去。享年41。父親の死からわずか3年後の事である。 ゴメスのスーツアクターは中島春雄。 デザインは東宝特殊美術課の井上泰幸。準備稿と決定稿の冒頭には「哺乳類、胎生、肉食。姿形稍アザラシ状。前後肢に稍退化せるも水かき、特に前肢が極端に発達し、鋭い爪を持ち、上顎より牙が生えている」との記述があり、四足歩行の怪獣と想定されていた。 着ぐるみは1964年公開の東宝映画『モスラ対ゴジラ』で制作されたゴジラを流用。当初は、『妖星ゴラス』に登場するマグマの着ぐるみが使用される予定だった。『三大怪獣 地球最大の決戦』の撮影終了後に村瀬継蔵によって改造され、円谷特技プロに貸し出された。ゴジラの胴体にサラシを巻き、その上に甲羅や鱗を盛って口の付近に髭をつけるという改造について、特美課の造形スタッフだった開米栄三は「この手法は戻すのも簡単」と述べている。 撮影終了後、ゴメスは返却先の東宝特美課にて『怪獣大戦争』で制作された「大戦争ゴジラ」の頭を挿げ替え、同年5月に上野赤札堂デパートで開催された「怪獣展」に展示された。その後、この「三大怪獣ゴジラの胴体」と「大戦争ゴジラの頭」を接合したゴジラは再び円谷特技プロに貸し出され、開米ら東宝特技課によってジラースに改造された。さらに、このゴジラは再返却先の東宝特美課にて『三大怪獣地球最大の決戦』時の状態に戻された後、7月から『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』でのプール撮影に使用された。 後頭部には前方へ向かって弧を描くように曲がった一本角がついている。鳴き声は動物園の動物の声を録音して使用したもの。 ゴメスは身長が10メートルという設定のため、ミニチュアセットは1/5スケールで造られた。 第18話「虹の卵」のシナリオ第一稿と第二稿ではゴメスが再登場する予定だったが、撮影時には着ぐるみがすでに東宝でゴジラに戻されていたため、第三稿(決定稿)より新怪獣パゴスに変更された。 リトルの名前の由来は「リトル(小さい)」から。 「シトロネラアシッド」は、ミカン科の植物citron(シトロン)の香りを持つイネ科の植物citronella(シトロネラ)と acid(アシッド、日本語で「酸」の意味)の合成語。 脚本を担当した千束北男(飯島敏宏)は、ゴメスの天敵は小さい方が視聴者が応援したくなるとの考えから鳥型の怪獣とした。先に撮影された「鳥を見た」でのラルゲユウスの特撮が苦労したため、監督の円谷一は監修の円谷英二から鳥はやめるよう言われていたが、それを聞いた飯島は意地になったという。 デザインは東宝の井上泰幸。脚本ではクジャクのような優美な姿とされていた。ミニチュアは『三大怪獣 地球最大の決戦』の操演用ラドンを元に利光貞三が造型し、尻尾には孔雀の羽根が使われた。嘴はFRP樹脂製。撮影終了後にはリトラの姿のまま東宝に返却され、倉庫に保管されている写真が現存する。後に『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』の大コンドルに改造された。 |
002 五郎とゴロー ★★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 土屋嘉男 鈴木和夫 |
特殊技術 | 特技監督 有川貞昌 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年1月9日放送 | 美術 井上泰幸 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率 33.4% | ||||||
「五郎とゴロー」は、巨大化した猿と唖の青年の物語。 社会的弱者の主人公と怪獣が心通ずるというモチーフは、この作品が最初かもしれない。青年の絶叫で終わらせるラストは、今現在のテレビ番組ではスポンサーが了承しないだろう。なおゴローのヌイグルミは1962年公開の「キングコング対ゴジラ」で使用した物を再利用したようだ。 この回の脚本を書いたのは沖縄出身の金城哲夫。 1963年に円谷プロダクションへ入社、黎明期の円谷プロが製作した特撮テレビ映画の企画立案と脚本を手掛ける。大人向けの特撮を目指した1968年製作の『マイティジャック』、その後の『怪奇大作戦』は視聴率が低迷。番組の受注が途絶えた円谷プロは、経営状態が悪化に伴い大幅なリストラを敢行、その煽りで文芸部も廃され、金城は1969年に円谷プロダクションを退社。 故郷の沖縄県に帰郷しラジオパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍したが、1976年2月23日、泥酔した状態で自宅で足を滑らせ転落。3日後の2月26日に脳挫傷のため37歳で死去している。 特技監督の有川貞昌(1925-2005年)はこの作品が「特技監督」デビュー作。 1953年『太平洋の鷲』(本多猪四郎監督)で円谷組特撮キャメラマンを務めて以来、東宝の特撮パートの撮影を多数担当。 翌年の1967年、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(福田純監督)で、正式に東宝の2代目特技監督の称号を得ている。円谷英二の愛弟子である。 1971年、円谷の死後、東宝特技課の解散に伴い、東宝を退社。このことについて、「オヤジ(円谷の敬称)がいなくなっちゃったんじゃ、もう東宝にいる意味が無くなった」との趣旨のコメントを残している。 その後東宝の系列会社である国際放映に移籍。1972年、東宝に請われてTVドラマ『愛の戦士レインボーマン』(NET系)の特撮を担当。 1977年には元東宝の造形スタッフ村瀬継蔵に招かれ、香港のショウ・ブラザーズ製作の『北京原人の逆襲』(ホー・メン・ファ監督)で特技監督を務める。 巨大類人猿というモチーフを、この「五郎とゴロー」から11年後に演出したのも、何かの縁かもしれない。 1979年『西遊記II』(日本テレビ)では、プロデューサーも務めている。 ゴローのスーツアクターは福留幸夫。 着ぐるみは東宝映画『キングコング対ゴジラ』で作られたキングコングの改造。顔は新調され、尻尾が付けられた。この後、この胴体は同じく東宝映画『キングコングの逆襲』のプール撮影用のコングに使われた。 五郎との交流シーンでは、実物大の手のモデルも使用されている。 本編は眠り薬入りであることを教えられず、自らが与えた牛乳により眠らされたゴローに対する五郎の心の絶叫で終わっているが、『ぼくら』昭和40年10月号に連載された絵物語では横浜港でイーリアン島行きの貨物船上の五郎とゴローを万城目たちが見送るという後日談が加えられている。 シナリオでは「ヘリプロン結晶G」によって巨大化したという設定であり、撮影もこの通りに収録された。しかし、その後に武田薬品がスポンサーとなったことで薬品を原因とすることが忌避され、設定を「青葉くるみ」に変更して一部の撮影とアフレコがやり直された。「ヘリプロン結晶G」バージョンの映像は映像ソフトに特典として収録されている。資料によっては、青葉くるみにヘリプロン結晶Gが含まれているものと記述している。 劇中にあるイーリアン島の巨大化した猿は、写真のみ登場し、着ぐるみもゴローと同一。コロタン文庫『ウルトラ怪獣500』49頁や『円谷プロ全怪獣図鑑』では、イーリアン島の大猿と掲載されている。 第2クールの企画案には、「ゴロー対スペースモンスター(ガラモン)」のタイトルでガラモンと戦うプロットが存在する。 |
003 宇宙からの贈り物 ★★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 後藤忠雄 |
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単発出演 田崎潤 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年1月16日放送 | 光学撮影 中野稔 |
美術 石井清四郎 |
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視聴率 34.2% | ||||||
前話に続いての金城哲夫の脚本。ラストの終わり方が非常に印象的となっている。 火星に向けて発射されたロケットが通信不能となり再び地球に舞い戻ってきた所から物語は始まる。黒尽くめの強盗ギャングが出てきて「いかにも」の進行。ギャング二人組が何故洞窟に迷い込んでいるのか説明不足なのだが、現れた火星人が送り込んで来たとされるナメゴンはナメクジとカタツムリを合体したような怪獣でヌメヌメ感が気色悪い。 一匹目は自滅して行くのだがもう一匹がラストに登場。そこにナレーションがかぶって一気に寓話的になる。当時の30分子供番組には、今回のような再び混乱に陥ってお手上げ、のようなラストで終わる回が多数あったような気がする。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------- この回の特技監督である川上景司は、 この他「マンモスフラワー」「ペギラ正・続」「バルンガ」「鳥を見た」他11本を担当している。以下Wikiでの経歴を少々長いが転載する。 『川上景司は1931年(昭和6年)、東京府立工芸学校(現:東京都立工芸高等学校)を卒業し、文部省文書課に入省する。その後、社会教育映画課に異動し、映画キャメラマンとなる。 1939年(昭和14年)10月27日を以て、東宝砧撮影所に見習い入社し、円谷英二を課長とする特殊技術課に配属される。特殊技術課には同期として、川上に先駆けて6月に後に「快傑ライオン丸」「スペクトルマン」等を制作したピー・プロダクション創業者鷺巣富雄(うしおそうじ)が入社している。 1941年(昭和16年)、特殊技術課内の、三谷栄三を主任とする合成作画係に異動。同僚に向山宏がいる。この年日本は第二次世界大戦に参戦、軍部の意向によって東宝は「戦意高揚映画」を量産することとなった。必然的に空・海戦のミニチュア特撮の需要が高まり、円谷以下特殊技術課は大車輪で稼働することとなる。 1942年(昭和17年)、特撮キャメラマンに転身。円谷の愛弟子としてミニチュア、光学合成、撮影など、特撮の技法を学ぶ。『南海の花束』(阿部豊監督)、『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎監督)などを担当。東宝の特撮を駆使した戦意高揚映画の好調ぶりを見た松竹映画松竹蒲田撮影所所長の城戸四郎は、自社の特撮部門の強化を画策。高給を条件に東宝特技課スタッフの引き抜きを図る。 1943年(昭和18年)3月3日、東宝を依願退職。造形美術係主任だった奥野文四郎らとともに松竹蒲田撮影所に移籍する。 4月、『敵機空襲』(渋谷実、野村浩将、吉村公三郎共同監督)で特殊撮影を担当。松竹は6月には大船撮影所に川上らを擁する特殊撮影課を新設。この体制で『愛機南へ飛ぶ』(佐々木康監督)を撮影。 1944年(昭和19年)、海軍に応召入営。1945年(昭和20年)、日本敗戦により松竹大船撮影所特撮課主任に復帰。 1949年(昭和24年)、特撮課に矢島信男が入社。川上の門下生となる。この時期、公職追放によってフリーとなっていた円谷英二が自宅に「円谷特技研究所」を開設、松竹から特殊撮影を請け負う。 1953年(昭和28年)、『沖縄健児隊』(岩間鶴夫監督)で戦争シーンの特撮を担当。久しぶりに本格的な特撮が使われた。 1954年(昭和29年)、『沖縄健児隊』での成果を見た松竹は、『君の名は』(大庭秀雄 監督)の全三部作制作にあたって、第一部の東京大空襲シーンの特撮部分強化を目論み、東宝の特技課に応援を要請。すでに「円谷特技研究所」名義で松竹と関係があったうえ、川上が東宝時代の門下生だったこともあり、円谷はこれを快諾、向山宏らとともに特撮に参加。 1956年(昭和31年)、日仏合作の大作映画である『忘れえぬ慕情』(イヴ・シャンピ監督)で、台風襲撃の特撮シーンを担当、大評判となった。川上はこの作品で「日本映画技術賞」の「特殊技術賞」を受賞。 この「特殊技術賞」は、円谷英二も同年の特撮映画『空の大怪獣ラドン』(本多猪四郎監督)で受賞しており、東宝・松竹両者初の総天然色特撮映画が特撮シーンで同時受賞するという快挙となっている。 この時期、木下惠介監督は自作品に特撮を積極的に採り入れ、川上はこれに応えて『野菊の如き君なりき』(1955年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)などの作品にミニチュア撮影やスクリーン・プロセスの技術を投入している。 1963年(昭和38年)4月12日、円谷英二が特撮制作プロダクション『株式会社円谷特技プロダクション』を設立。円谷に演出家として招かれ、「一番弟子」である川上は松竹を退社し、同プロ創設と同時に入社。円谷特技プロは間もなく日活・石原プロモーション製作の映画『太平洋ひとりぼっち』(市川崑監督)の特撮部分を受注。「特殊技術」名義で特撮を担当する。 同年、東宝で特撮映画『海底軍艦』(本多猪四郎監督)が企画されるが、急遽正月興行が決まり、特撮部分の撮影期間が1か月に満たない非常事態となった。困り切った円谷英二監督は、中野昭慶助監督の進言で三班体制を採ることにし、川上を東宝に呼んでB班監督を任せた。 1964年(昭和39年)、円谷特技プロがテレビ特撮映画『ウルトラQ』(TBS)の製作を開始。川上は特技監督として計11本に参加。『ウルトラQ』撮影風景のスナップには川上の姿が多く存在している。 1965年(昭和40年)、東宝傘下の円谷特技プロの現状に不満を覚え、制作上の意見の相違もあり、「自由な映画作りがしたい」として同プロを退社。 1966年(昭和41年)、東宝特技課を退社した美術監督の渡辺明、造形の小田切幸雄らとともに「日本特撮プロダクション」(のち「日本特撮映画株式会社」に改名)を設立。完全独立プロダクションとして映画などの特撮部分を請け負う。 1967年(昭和42年)、『ウルトラQ』放映開始によって日本列島は「怪獣ブーム」に包まれる。各社が競って怪獣映画の制作に乗り出すなか、松竹の『宇宙大怪獣ギララ』(二本松嘉瑞監督)の特撮監修を担当。渡辺明は日活の『大巨獣ガッパ』(野口晴康監督)を担当怪獣ブームを過熱させた。 1968年(昭和43年)、松竹で『吸血髑髏船』(松野宏軌監督)、『昆虫大戦争』(二本松嘉瑞監督)の二本立て作品両方の特撮を担当(クレジットは「協力」。渡辺は東映の『ガンマー第3号 宇宙大作戦』〈深作欣二、田口勝彦共同監督〉を担当 1969年(昭和44年)、日本特撮映画株式会社を解散。 1973年(昭和48年)、癌により死去。享年61。』 日本特撮の創生期から怪獣ブームの絶頂期に至るまで、特撮に関わった人生は本人も幸せだったに違いない。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ナメゴンの鳴き声は東宝怪獣のバラゴンの流用。 造型は佐々木明。ラテックス特有の淡いアメ色に赤茶系を吹き付けた彩色となっており、湿気を出すために撮影のたびに霧吹きで水を表皮に吹き付けている。造形物は大小2種類造られた。移動ギミックは東宝映画『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』の幼虫モスラのものが流用されている。 終盤の、卵が膨らむシーンは風船で表現された。 最初期に制作された第3話はTBSでの検討用素材としても用いられ、ナメゴンが好評であったため作品全体が怪獣路線になったとされる。 |
004 マンモスフラワー ★★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 梶田興治 |
監督 梶田興治 |
撮影 内海正治 |
照明 後藤忠雄 |
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単発出演 高田稔 堺左千夫 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年1月23日放送 | 光学撮影 中野稔 |
美術 石井清四郎 |
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視聴率35.8% | ||||||
この回の「マンモスフラワー」、放送は4本目だが制作は1本目。 なので佐原健二と西條康彦の紹介、そして桜井浩子、江川宇礼雄との関係が詳しく紹介されていく。 石坂浩二のナレーションにも「アンバランス・ゾーン」という番組のモチーフが台詞にある。 特撮シーンはビル一棟のみでかなり派手さはない。合成が多用されている。 ビルを突き破って成長していく巨大植物が蕾から開花するシーンは印象的だ。飛行機から炭酸ガスを強力に固定する特殊薬品を落とすのだが、俯瞰のそのシーンは航空写真を引き伸ばした写真が使われている。放送当時の小さなモノクロブラウン管テレビではそうと気付かなかっただろう。 この回の特技監督は、当初は中野昭慶が担当するはずだったと言われている。しかし中野は東宝の本編(「三大怪獣 地球最大の決戦」。中野は、チーフ助監督を務めている。)が忙しく、スケジュールがとれなかったために担当出来なかったとか。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 監督の梶田興治は1923年生まれの東京都出身。 1945年、22歳の時に東宝撮影所に入社している。中野昭慶とは東宝時代からの付き合いだったのだろう。東宝では本多猪四郎監督のチーフ助監督を長く務め、1966年に円谷特技プロダクションへ出向してウルトラシリーズの監督を担当、その後東宝に戻りテレビ部のプロデューサーとして活躍した。第二次大戦中は陸軍飛行部隊所属で、『ウルトラQ』第27話「206便消滅す」では、劇中にゼロ戦のミニチュアを登場させている。2013年8月18日、病のために死去。89歳没。 巨大フラワーに破壊されるビルに入居している会社、東京広告の支配人役は堺左千夫。 東宝の特撮映画でもお馴染みの脇役。1925年、都内の電気商の息子として生まれる。第1期東宝ニューフェイスの試験に合格し、東宝に入社。三船敏郎、伊豆肇と同期。1947年の黒澤明監督『素晴らしき日曜日』でデビュー。以降、黒澤、岡本喜八、稲垣浩ら、東宝の名監督の作品に常連として多数出演。若大将シリーズの敵役「赤まむし」役などの名脇役俳優として知られる。1998年、73歳で没。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- マンモスフラワーは木槿(ムクゲ)をモデルにしているといわれている。造形には開米栄三と佐々木明が、それぞれの関与を証言している。 ブルーバックによる合成のため、青系ではなく赤系の彩色となった。根の造形物は、本編用と特撮用とで形状が異なっている。 皇居の堀にジュランの根が浮かぶシーンは東宝の大プールで撮影され、一部のシーンでは実景と合成された。 開花のシーンは作画合成によるもの。監修の円谷英二はこの描写に最もこだわり、特技監督の川上景司に何度もリテイクを命じたという。 マンモスフラワーは、企画書ではアンモニア水で、準備稿ではアンモニア水と「植物中のH2Oを強力に分解する特殊薬品」によって退治される描写であったが、決定稿の段階で完成作品同様に火炎放射器と炭酸ガス固定剤に改められた。炭酸ガス固定剤は、監督・共同脚本の梶田興治の提案によるもの。 準備稿・決定稿共に、事件から1か月後、再建中の東京広告社ビルがマンモスフラワーの球根が腐ったために大陥没するシーンでエンディングとなるが、本編ではカットされた。この結末は、「ぼくら」1965年3月号所収の絵物語で再現されている。 |
005 ペギラが来た ★★★★★ |
スタッフ | 脚本 山田正広 |
監督 野長瀬三摩也 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 田村奈巳 森山周一郎 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年1月30日放送 | 美術 成田亨 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率34.8% | ||||||
「ウルトラQ」に登場した怪獣の中でも人気が高いペギラの初登場作。 この後ペギラが東京に現れた「東京氷河期」もある。この両作品はほぼ同時期に制作されている。 この回は舞台が全て南極なのでオールセット、レギュラー出演も佐原健二のみとなっている。ペギラの登場が、黒い煙幕を発した隕石の移動によって表現されている。この事象に関しては物語の中では何ら説明がないのだが何か納得できてしまう。そうでないと南極から東京へは移動できないから苦肉の策では有るのだろうが・・・・。 ペギラのぬいぐるみ造形が見事だ。美術は成田亨。上に向いた牙。顎には髭が生えている。ペンギンとアザラシを足して割ったモチーフ。 そして半分閉じていいる、寝ぼけたような眼。この目がカッと両開きになる一瞬が怖い。 流氷を進む掘削船や雪上車など、ミニチュアも素晴らしい。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 成田亨は1929年9月、神戸市生まれで翌年より、父方の故郷である青森市にて育つ。漫画家の成田美名子は従兄弟の娘にあたる。 1歳になる前、青森県の自宅で、囲炉裏の火をつかもうとして左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかった。 8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。 小学校では言葉の違いと左手の火傷の事でいじめられ、右手だけで描ける絵が救いとなり、将来画家になる決意をする。 旧制青森県立青森中等学校卒業。印刷工として働き資金を貯め、1950年武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)に入学。 当初洋画を専攻していたが、授業に不満を感じ、途中で彫刻学科に転科。彫金の作業中、移植した皮膚からはしばしば血が流れたという。 1954年、美術学校卒業後、友人に誘われ、『ゴジラ』(東宝、本多猪四郎監督)にアルバイトとして参加。 怪獣ゴジラに壊される建物のミニチュアを制作。以後、美術スタッフとして、各映画会社の特撮作品に携わる。 1955年、彫刻作品で「第19回新制作展」に入選した。1956年武蔵野美術学校彫刻研究科(現大学院)を修了、映画監督の下に弟子入りする。1962年第26回新制作展新作家賞を受賞。 1965年春、円谷特技プロダクションの契約社員となり、特撮テレビ映画『ウルトラQ』の第2クールから美術監督を務める。 続く『ウルトラマン』(1966年、TBS)、『ウルトラセブン』(1967年、TBS)、『マイティジャック』(1968年、フジテレビ)でも、怪獣やレギュラーメカのデザインを手がけた。これらキャラクターデザインに関しては、後にその著作権を巡り、円谷プロと争うことになる。 1968年、円谷プロを退社。『ウルトラセブン』『マイティジャック』の美術監督を中途降板した後、青森市で個展を開催。 その後、大阪万博の「太陽の塔」内部の「生命の樹」の施工のプロデュース、映画の美術監督などを経て、全国各地で個展を開催する。著書・作品集多数。 晩年は、幼少期に過ごした尼崎市を度々訪問し、市域を流れる武庫川の土手に自身がデザインした『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『突撃! ヒューマン!!』の等身大三身一体像を建立するために、地域の活動グループと共に奔走するが願いは叶わなかった。 2002年2月、多発性脳梗塞により死去。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 監督の野長瀬 三摩地(のながせ さまじ)は1923年生まれの京都市出身。 日本大学芸術学部を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。 映画界が斜陽の中では監督昇進の機会が回って来ず、1964年、逸早く映画界に見切りをつけ、東宝テレビ部に移り、テレビ監督に転身。メロドラマ『銀座立志伝』で監督デビュー。円谷プロダクションの『ウルトラQ』で監督を務めて以降、特撮番組に携わり、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの初期のウルトラシリーズでは多数のエピソードを監督、脚本も執筆している。 1982年に東宝を退社。その後はフリーの監督として記録映画などを撮ったほか、母校である日本大学芸術学部の講師も務めた。1996年72歳で没。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 脚本の山田正弘は1931年生まれの東京都出身。 文化学院文学部卒業。詩誌の創刊に参加。その後、月刊詩誌「現代詩」や「詩学」などで、堀川正美、水橋晋、三木卓らと社会派として活躍。1959年 石原慎太郎の企画・監修によるドラマシリーズ「慎太郎ミステリー 暗闇の声」で脚本家デビュー(大山勝美:監督作品)。その後TBSの大山勝美演出ドラマの脚本を担当。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「中学生日記」など多数の作品を手がける。 快獣ブースカは山田が書いた「カネゴンの繭」を下敷きに企画製作された。また、ブースカ語である「バラサ バラサ」、「シオシオのパー」は山田が考案した造語である。 1967年には「炎と女」で映画脚本デビュー。吉田喜重監督とのコンビで、アナキスト大杉栄を描きシドニー国際映画祭南十字星賞を受賞した映画「エロス+虐殺」や「煉獄エロイカ」「告白的女優論」などの脚本を執筆した。 2005年、肺がんのため死去。74歳没。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 女性隊員、久原羊子役の田村奈巳は1942年生まれで東京都渋谷区千駄ヶ谷出身。 本名は平野まゆみ。中学生の頃から雑誌モデルやテレビドラマに出演。江波杏子とは近所の幼馴染。1959年、東宝に入社し、同年、本名のまま映画『ある日わたしは』でデビュー。1960年、田村を含めた、同い年の16歳だった浜美枝、星由里子の三人娘がペットのように可愛いため、夏木陽介が「東宝のスリーペットだね」と言ったことから正式に「東宝スリーペット」として売り出され、盛大な披露パーティーも催された。 3人をメインにした『サラリーガール読本 お転婆社員』も同年に公開された。1961年に芸名を田村奈巳に改め、『野盗風の中を走る』など着実に出演作を重ねる。1966年にフリーとなり、その後も映画、テレビドラマに多数出演し、1973年に結婚を機に一旦引退するも、1985年に女優に復帰。 恩顧の岡本喜八監督に請われての『大誘拐』(1991年)では、中年期に入っても往時と変わらない可憐さを見せている。 本作のヒロイン・江戸川由利子役の候補に名前が挙がった事もあったという。また、次作『ウルトラマン』の女性隊員役の候補にも挙がっていた。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ペギラのスーツアクターは清野幸弘。 特殊美術・成田亨と怪獣造形・高山良策のコンビが手がけた初のウルトラ怪獣。 井上泰幸による初稿デザインに成田が手を加え、修正稿では成田のこだわりで翼全体が鳥のような羽根に覆われていたが、造型上は妥協して初稿と同様、ラテックスによる1枚羽根の形となった。初稿にも修正稿にも描かれていない頭の角は、着ぐるみの造型時に高山によって取り付けられたものである。身体のイボは高山が造形した時点では存在しておらず、現場でつけられたとされる。 劇中では確認しづらいが、着ぐるみには産毛が生えている。この毛羽はラテックスに?を混ぜたものを使用している。体は不織布によって造られた。口の開閉ギミックは紐による手動操作によるもの。冷凍光線はガスで表現された。 着ぐるみは本作品での使用後、高山によって『ウルトラマン』に登場するチャンドラーへ改造された。チャンドラーのスーツアクターも同じく清野が務めている。ペギラとチャンドラーの相似について公式設定は存在しないため、さまざまな解釈が非公式に記述されている。 大伴昌司による『ウルトラ怪獣入門』(小学館、1971年)132頁では「他人の空似」と解説されている。学年誌などではペギラとチャンドラーは兄弟怪獣と設定され、ペギラが兄、チャンドラーが弟とされている。 ペギミンHは、第2話のヘリプロン結晶Gや第8話のラゼリー・B・ワンと異なり「怪獣を倒すいい薬」であることから、スポンサー判断による変更はなかった。 黒煙を出して飛ぶ描写は監督の野長瀬三摩地の提案によるもの。 |
006 育てよ! カメ ★★★★★ |
スタッフ | 脚本 山田正広 |
監督 中川晴之助 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 大泉滉 中村和夫 |
特殊技術 | 特技監督 小泉一 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年2月6日放送 | 美術 渡辺明 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率31.2% | ||||||
「ウルトラQ」シリーズの中でも、子供を主役にした寓話的な話が何話かある。そのほとんどを担当したのが中川晴之助監督。 本作以外に「鳥を見た」「カネゴンの繭」などを担当している。 印象的な音楽とともに映像主体のカッティングも含めて、軽妙なタッチで物語は進む。 亀が少年を乗せて空を飛ぶシーン。前年1965年11月に公開された大映の「大怪獣ガメラ」がヒントになっているのかもしれない。 細かい所には拘らずに自由奔放に映像表現した本作は「ウルトラQ」がだだの特撮物の範疇には収まらない、映像作品なのだと確信される。 一年掛けて自由に各話を作らせた、円谷英二の懐の深さこそが、「ウルトラQ」の魅力なのかもしれない。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 監督の中川晴之助は1931年生まれ、TBS演出部、映画部に所属していたテレビディレクター。 人間のエゴや偏見を無邪気でひたむきな子供の目線で描いた。 「ウルトラQ」は全編が映画用の35mmフィルムで撮影されたが、「カネゴンの繭」ではTV用16mmフィルムのつもりでキャメラを回し続け、他の監督から「フィルム喰いのハルゴン」と渾名を付けられた。 この『ウルトラQ』に前後して、渥美清主演のテレビドラマ『泣いてたまるか』第1話を監督している。娘は女優の中川安奈。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ カメのスーツアクターは福留幸夫。飛行シーンの撮影時にはスーツアクターは入っていない。 造形者は開米栄三。甲羅はFRP樹脂製。 劇中の怪竜はシナリオ段階では存在せず、代わりに鳳凰が出現する予定だった。 操演用ミニチュアは東宝特撮映画作品『海底軍艦』に登場した怪獣マンダの流用。撮影後は東宝へ返却され、映画『怪獣総進撃』にて再びマンダとして用いられた。 |
007 SOS富士山 ★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 千束北男 |
監督 飯島敏宏 |
撮影 長谷川清 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 晴乃チック・タック |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年2月13日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率32.5% | ||||||
富士山が噴火するというモチーフは、製作から40年経った今現在では非常にタイムリーでは有る。 その噴火の影響で岩石怪獣が現れるわけだが、その話と、行方不明で野生児になった弟タケルとそれを探す姉、の2つの物語は必然性がなく面白くない。タケルは野生児なのに栄養満点ふくよかで髪の毛もふさふさ(多分かつら)。 特撮シーンは非常に丁寧に撮影されている。トラックが岩石を運ぶカットは実写化と思った。また雪崩のシーンも良い。 また岩石怪獣の心臓部をタケルが破壊するのも面白い。 しかし、シーン転換にワイプを多用したりと工夫も見受けられるが、成功しているとは思えない。子どもたちのロケット発射も散文的でつまらない。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 監督の飯島敏宏は1932年、東京都生まれ、 東京都立小石川高等学校を卒業後、一浪したのち慶應義塾大学文学部に入学。在学中は放送研究会に所属し放送劇の脚本を執筆。放送劇コンクールで受賞者常連となる。大伴昌司や藤川桂介と知り合ったのもこの頃。 1年間のアルバイトを経て1957年、KRT(現:TBSテレビ)に入社。演出部に所属し、数本のテレビドラマでADを務めたのち、同年、『ますらを派出夫会』でテレビドラマ初演出となる。1962年に製作された『月曜日の男』ではプロデューサー、脚本、演出を担当した上に、水原弘が歌った同名主題歌の作詞(持統院丈太郎名義)を担当した。 1964年、映画部所属の監督として国際放映に出向、滝沢英輔監督の『父子鷹』監督補として付き、『柔道一代』の中盤から監督を担当する。他、同時代の国際放映での作品には『青年同心隊』や『泣いてたまるか』(渥美清版)がある。 1965年、円谷英二率いる円谷特技プロダクションにやはり映画部所属の監督として出向、『ウルトラQ』の監督を担当する。その後も、のちに円谷プロの代表作となる『ウルトラマン』(1966年)や『ウルトラセブン』(1967年)などのウルトラシリーズ、『怪奇大作戦』(1968年)などを世に送り出した。 1970年、木下恵介プロダクションにTBS社員として出向、1992年、TBSを定年退職後に木下プロダクションの社長となり、のち会長職に。木下プロでは、演出家のみならずプロデューサーとしてもテレビドラマに携わるようになる。 木下恵介プロへの出向は、親しい後輩である実相寺昭雄がTBS退社を申し出る際の付き添いで人事部に行ったところ、その場で命じられたと言う。山田太一の初期の代表作『それぞれの秋』など『木下恵介 人間の歌シリーズ』(1970年~1977年)や、一大ブームを巻き起こした『金曜日の妻たちへ』(1983年)を手がけ、「ドラマのTBS」の一翼を担った。 2003年(平成15年)7月 木下プロは株式会社ドリマックス・テレビジョンに商号変更、東京放送(現:東京放送ホールディングス)の連結子会社となったあとはエグゼクティブ・プロデューサーとして同社に関わり、2007年、同職を自ら辞しフリーとなる。 夫人は女優の矢代京子(新東宝第5期、『月曜日の男』に出演した)である。 脚本家としてのペンネームは千束 北男(せんぞく きたお)。新婚当時、大田区北千束に居を構えていた事からそれをもじって「北千束の夫」という意味合いで付けられた「千束北夫」を、台本の印刷時に「北男」としてしまった事が由来とされる。 『ウルトラマン』の代表キャラクターであるバルタン星人が登場した第2話「侵略者を撃て」と第16話「科特隊宇宙へ」の監督と脚本を担当しており、バルタン星人の生みの親とも称される。バルタン星人の登場作品としては映画『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』や『ウルトラマンマックス』第33話「ようこそ!地球へ 前編 バルタン星の科学」と第34話「ようこそ! 地球へ 後編 さらば!バルタン星人」なども担当しており、1993年には制作中止となった『ウルトラマン バルタン星人大逆襲』の脚本も執筆している。 飯島はバルタン星人は今よりも科学や経済が発達した人類の未来の姿を映した反面教師と位置づけており、悪役として描かれた後発のバルタン星人については認めていないと発言している。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 特技監督の的場徹は1920年、東京有楽町生まれ。 旧制中学時代にP.C.Lのエノケン物の映画を観て、「数十人に分身したエノケンの孫悟空」などといった、トリック撮影の魅力にはまる。父親、兄ともに絵描きで、母親は別方面への進学を望んだが、結局、東京美術学校 (現:東京芸術大学)に進む。 1938年(昭和13年)、東京美術学校を卒業。撮影助手募集の新聞公募を見て、日活多摩川撮影所の「技術部」に姫田真佐久と共に入社。このとき合格した5人のうち、現場に残ったのは的場と姫田だけだったという。その後『土』(内田吐夢監督)に碧川道夫キャメラマンを補佐し、撮影助手として参加。日活の文芸映画路線が非常に勉強になったという。 1941年(昭和16年)、大日本帝国陸軍に現役入隊。中国戦線に従軍。この間に1942年、日活は新興キネマ、大都映画と統合、「大日本映画製作株式会社」となり、多摩川撮影所は大日本映画に編入される。戦後中国より復員。本人はもう籍は無いのかと思い込んでいたようだが、新会社大映に無事復帰することができた。旧多摩川撮影所のスタッフは全員復員生還できたという。 大映東京撮影所では戦後、渡辺五郎キャメラマンを中心に姫田を助手として「特殊撮影課」を設立していた。姫田は復帰してきた的場に後を任せ、本編班に異動。渡辺、横田達之を先輩に、的場は特撮助手を担当することとなった。この特撮課にはほかに築地米三郎、柿田勇もいた。 特撮課では当初、渡辺と横田が交代で特撮担当していたが、しばらくして渡辺が病床に伏し、以後は的場と築地が二人で特撮の撮影を手がけるようになった。 昭和20年代の大映映画では、「特殊技術」のタイトルクレジットは渡辺・横田の連名表記になっているが、実質打ち合わせや撮影はすべて的場・築地で行っている。 大映の特撮スタイルは、東宝の大規模型と異なり、特撮と気づかせない、作画合成や光学合成を主体とするリアルな特撮が求められた。また戦後しばらくの時期、公職追放によりフリーとなっていた円谷英二監督が大映に嘱託参加。特撮課も円谷の指導を仰いでいる。 1952年(昭和27年)、『死の街を脱れて』(小石栄一監督)で特撮部分すべての撮影を担当。当作は、ミニチュアワークと作画合成が絶賛され、 日本映画技術協会の「特殊技術賞」を受賞した。プロのキャメラマンを集めての協会の選考試写では、「あれは実写でしょう?」との声が相次いだという。 1956年(昭和31年)、本邦初の総天然色SF映画『宇宙人東京に現わる』(島耕二監督)の特撮を担当。助手には築地米三郎がついた。 1961年(昭和36年)、本邦初の70mm総天然色スペクタクル史劇映画『釈迦』(三隅研次監督)を担当規模の大きさに困った横田達之が的場を京都へ招き、一任された的場は絵コンテ描きと特撮シーンの撮影をすべて行っている。撮影助手には黒田義之が就いた。タイトルには特撮スタッフとして横田と相坂操一の名がクレジットされているが、実際には両者はノータッチだったという。 1962年(昭和37年)、『鯨神』(田中徳三監督)の特撮を担当。当初特撮は築地米三郎によって準備されたが、永田雅一社長が急遽『秦・始皇帝』(田中重雄監督)に築地を指名、代わって的場の担当となった。 1965年(昭和40年)、円谷英二監督が興した円谷特技プロダクションに請われ、「特技監督」として契約。特撮TVドラマ『ウルトラQ』(TBS)の特撮を、川上景司の後を継いで担当。以降、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『怪奇大作戦』(TBS)、『快獣ブースカ』(日本テレビ)など、円谷特技プロの番組で特技監督を務める。 1970年(昭和45年)、フリーとなり、ピー・プロダクションのヒーロー番組『宇宙猿人ゴリ』の企画に参加、パイロットフィルム監督を務めた。 翌年、フジテレビの特撮TV番組となった『宇宙猿人ゴリ』で特技監督を務める。番組名はのちに『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』『スペクトルマン』と変遷するが、的場が手がけたのは『宇宙猿人ゴリ』タイトル時の初期である。 1972年(昭和47年)、「日本映像研究所」を設立。以降、1980年代初頭まで、ヒューマン・ドキュメンタリー映画を多数監督。また雑誌「映画撮影」などで著作活動もおこなう。 1956年(昭和31年)の『宇宙人東京に現わる』では、天体Rの接近で地上が赤く照らされるシーンの特撮で、銀座の大交差点を実写撮影し、その上空部分を渡辺善夫の作画合成で表現することにした。的場らは一週間ほとんど徹夜でこの画を完成させたのだが、途中で「早朝ロケで無人の風景だから、最初から全部絵でやればよかった」と気づき、結局絵で処理することになったといい、「笑い話ですよ」と述懐している。 1962年(昭和37年)の『鯨神』では、大橋史典に実物大と小型のクジラのミニチュアを制作してもらったが、水圧を考慮した実物大模型は3トンに達し、まったく動かせなかった。そこで高山良策に依頼して小型のミニチュアを作ってもらい、全編ほとんどこちらのミニチュアを使って撮影した。船のミニチュアは郡司模型製作所に依頼した。 大映の特撮スタッフとして、東宝の円谷英二監督はライバルのようなつもりだったという。このため、円谷特技プロから『ウルトラQ』の特技監督を依頼された際は少し悩んだといい、「好きなように撮らせてくれる」と聞いて、「それなら円谷氏とは違った特撮を撮ろう」と決意し、参加したと語っている。撮影が始まると、現場の制作体制の違いからうまくいかない部分もあったというが、「そのような意見対立が逆にいい結果を生んだ」と述懐している。 的場は「人間の入る怪獣はあまり好きでない」として、『ウルトラQ』では「ボスタング」など、操演怪獣のデザインの原案も描いたという。宇宙人の場合は最初から人間体型で考えたといい、『ウルトラマン』の「バルタン星人」の分身シーンのストロボ効果は、合成担当の中野稔と意見を出し合って生まれた会心の映像だったと述懐している。 『ウルトラQ』の登場怪獣「ガラモン」の腕を振り回す格好や動きは、的場がプロ野球投手の金田正一の仕草を採り入れたもの。 このガラモンの回の撮影当時、円谷特技プロのそばの「馬事公苑にバケモノが出る」との噂が立ったことがあった。 警察まで出動する騒ぎとなったが、化け物を捕えてみると近所の子供の悪戯で、倉庫からガラモンのぬいぐるみを持ち出して遊んでいたものだった。現場ではガラモンの衣装が紛失して危うく撮影中止になりかけていたという。 『ウルトラセブン』では「特撮演出をかなり大胆にした」といい、「ギエロン星獣」との殺陣では『椿三十郎』(黒澤明監督)を参考にしたと語っている。怪獣の最期は残酷にならないよう気を使ったといい、血しぶきの代わりに金粉や羽毛を使って「ファンタスティック的要素を重視した」としている。 大涌谷で日帰りロケしたという『快獣ブースカ』第9話の「ブースカの大冒険」に登場する島の酋長は、的場が演じている。 ピー・プロダクションのうしおそうじ(鷺巣富雄)とは『宇宙人東京に現わる』の頃からの付き合いがあり、うしおが『宇宙猿人ゴリ』をフジテレビで企画した際には「鷺巣さんと組むのが夢だった」としてパイロットフィルムの段階から企画に参加。 うしおによると「ギャラはあまり払えないから、そのかわりに」と企画者記名に「的場徹」と入れ、その後諸事情で的場が降りた後も「企画:的場徹」の表記を通したという。 「東宝の円谷英二の特撮と大映の特撮の違い」として、大映の、あくまでストーリーに溶け込ませるリアル志向の特撮作りを指し、「機関車作るにしても円谷さんは精巧なもの作るけど、ぼくらは画面的な効果を狙ったものを作る。金もかからないけど、特撮とはばれない自信はあるんです」と語っている。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 岩石怪獣のスーツアクターは中村晴吉。鳴き声はゴジラの流用。 準備稿の段階で「ゴルゴス」と名づけられていたものの、決定稿「SOSフジ山」では「岩獣」、完成作品のタイトルバックでは「岩怪獣」と表記。 造形は高山良策による。デザイン画では細い鞭のような尾が描かれていた。成田亨による「岩獣」名義のデザイン画も存在する。 人間と対峙するシーンでは、オプチカルプリンターによる合成が随所で用いられている。タケルが背に乗って戦うシーンは、こどもの国で荷台に造形物を乗せたトラックを走らせて撮影された。 |
008 甘い蜜の恐怖 ★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 梶田興治 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 黒部進 沢井桂子 清水元 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年2月20日放送 | 美術 渡辺明 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率38.5% | ||||||
前回に続いての、大自然を舞台にした回。今回は大モグラの怪獣が登場する。 黒部進演ずる良い科学者と、悪い科学者との確執がテーマだが、取ってつけたような印象は拭えない。 特撮シーンは、最初の蒸気機関車の俯瞰ショットからの脱線シーンは見ごたえあり。 巨大モグラは、目が光っているのが不気味。戦車隊による攻撃シーンには、多分「地球防衛軍」のカットが流用されている。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- スーツアクターは福留幸夫。鳴き声はライオンの鳴き声をアレンジしたもの。 劇中では「大モグラ」としか呼ばれておらず、自衛隊の立て看板にも「大モグラ対策司令本部」と書かれている。 ストーリーは怪獣ものよりも、当時のアメリカ映画に多かった巨大生物ものを意識している。 着ぐるみは1967年の福島県会津若松市の会津博覧会の怪獣館などで展示された後、二子玉川園にて1973年に行われた「怪獣供養」にて、ダダやギラドラスなどと共に焼却処分された。怪獣供養の写真に頭部が写っており、カラーライズ化の際には参考にされた。 脚本では巨大化の原因は「ラゼリー・B・ワン」という薬品であり、撮影もこの通り行われたが、第2話の「ヘリプロン結晶G」と同様の事情により「ハニーゼリオン」に変更された。こちらは第2話と異なり、改訂前のフィルムは発見されていない。 |
009 クモ男爵 ★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 若林映子 滝田裕介 |
特殊技術 | 特技監督 小泉一 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年2月27日放送 | 美術 井上泰幸 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率32.4% | ||||||
ヒッチコック風のスリラーを目指したようだが、脚本のツメが甘く、人物造形もいま一つ。せっかくの若林映子を生かしきれていない。 クモの造形と操演は素晴らしい。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 大蜘蛛のデザインは東宝特殊美術課の井上泰幸。造形は特美スタッフによる。ピアノ線による操演で表現された。 準備稿では、万城目の友人・葉山が大蜘蛛に刺されて舞踊病の発作を起こすシーンが存在する。 映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』では、百体怪獣ベリュドラの胴体を構成する怪獣の1体となっている。 |
010 地底超特急西へ ★★★★ |
スタッフ | 脚本 山浦弘靖 千束北男 |
監督 飯島敏宏 |
撮影 長谷川清 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 石川進 塚本信夫 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年3月6日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率32.6% | ||||||
近未来の東京を舞台にした寓話的な回。 特段の説明もないまま、レギュラー陣がそのまま出演している。 東京-北九州を3時間で結ぶという、リニア新幹線以上の超スピートのAI頭脳搭載の夢の超特急。 背景を動かし、かつカメラを微妙に揺らして撮影したであろう、スピート感溢れる特撮が素晴らしい。ラストの衝突シーンも迫力満点。 何より人工知能のゴリラ風怪人の造形が素晴らしい。 ある意味、同年の11月から放送された「快獣ブースカ」の典型ではないだろうか。愛嬌があり、ラストは宇宙まで翔んでいって、「わたしはカモメ」と呟く。 これは3年前の1963年6月に、世界初の情勢宇宙飛行士となった、テレシコフの打ち上げ後の第一声「わたしはカモメ」のパロディとなっている。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------- M1号のスーツアクターは中村晴吉。声は中曽根雅夫。 造形者は高山良策。目部はスーツアクターの目がそのまま現れるようになっている。 デザインは成田亨。準備稿でのM1号のデザインは、エド・カーティアのベムに似た昆虫の身体に手足が付いた人型のデザインで、決定稿(第2稿)のデザインもかなり野生のサルに近い姿をしていた。準備稿のデザインは、『ぼくら』昭和41年4月号の特集でM2号と紹介されており、後年の書籍『ウルトラマン白書』でもその名で記載されている。成田はただのサルと差別化するため耳をつけていたが、造型では色が異なるのみにとどまった。 造形物は着ぐるみのほかにマリオネットが造られ、宇宙のシーンなどで使われた。NG版では、額と胸にボアが貼られていなかった。指の開閉ギミックはマジックハンド方式によるもの。 シナリオの準備稿と決定稿の両方で、M1号は死亡する筋書きになっていた。前者では触手が「いなづま号」のエンジンに接触して感電死、後者では先頭車両が車止めに衝突した際の火災事故で焼死という死因になっている。 ラストシーンは目を回したイタチが宇宙にいると錯覚するというものであったが、撮影直前に変更された。 怪獣図鑑に紹介されている足形は、化学の「化」の漢字(カタカナの「イロ」という文字にも見える)が刻まれている部分がある独特の形態をしている。 竹書房の『ウルトラマンベストブック』60頁には、MはMan Made=マンメイド(人工的に創造された人類)の略として、「Man Made-01」あるいは「マンメイド1号」の名称が記述されている。 |
011 バルンガ ★★★★ |
スタッフ | 脚本 虎見邦男 |
監督 野長瀬三摩也 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 青野平義 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年3月13日放送 | 美術 成田亨 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率36.8% | ||||||
脚本はシリーズでこの一本だけの虎見邦男。監督は「ペギラが来た」の野長瀬三摩也。 ストーリーは少し荒っぽいが、低音の音楽が印象的。バルンガ自体の造形も、触手がそれぞれの方向に動いていて気持ち悪い。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------ バルンガのデザインは成田亨。風船の束をモチーフとしている。 造形者は佐々木明[。登場シーンの多くは実景との合成が用いられ、建物との対比で巨大化している様子が表現された。色は造形に使用された生ゴムそのままの茶色であったとされるが、合成用の赤いミニチュアも存在していたとされる。 小森陽一が桜井浩子に尋ねたところ、「結構汚い感じの土色」と証言している。 |
012 鳥を見た ★★★★★ |
スタッフ | 脚本 山田正弘 |
監督 中川晴之助 |
撮影 内海正治 |
照明 後藤忠雄 |
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単発出演 津沢彰秀 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年3月20日放送 | 光学撮影 中野稔 |
美術 石井清四郎 |
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視聴率32.6% | ||||||
「育てよカメ」に続く中川晴之助監督作。 少年と小鳥との交流が微笑ましい。短いカッティングでの編集も見事。 ラストの「俺も連れてってくれよー」に感銘した。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 名称はカモメのラテン語名(Larus canus)に由来する。放映当時の出版物では「ラルギュウス」または「ラルゲリュース」もしくは「ラルギュース」と呼ばれていた。 撮影には複数のミニチュアが使用されており、『三大怪獣 地球最大の決戦』のラドンの操演用モデルを改造したものも存在する。 アップ用の足も製作されている。合成のため、青系ではなく赤系の彩色となった。無人船は映画『海底軍艦』のマンダの操演用が流用されている。 また、この回のために街のミニチュアセットもしっかりと組まれ撮影されていたのだが、監修の円谷英二はその出来に満足せず、実際に使用された突風による破壊シーンのフィルムはほとんどが東宝映画『空の大怪獣ラドン』からの流用となっている。 脚本では、巨大化の原因は太陽活動による宇宙線の変化によるものと示唆されている。 脚本を担当した山田正弘は本作品で「少年と大人」をテーマにしている。本話ではラルゲユウスを「少年の夢の象徴」と位置づけ、街を襲うラルゲユウスは「少年の夢を理解しない大人への復讐」、三郎少年とラルゲユウスとの別れは「夢との別れ=大人になる哀しさ」を現している。 |
013 ガラダマ ★★★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 福田豊士 富田浩太郎 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年3月27日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率35.7% | ||||||
現在も人気が高い怪獣、ガラモンの初登場作。 成田亨によるガラモンの特異な造形が素晴らしい。 的場徹特技監督の、ロボット怪獣であるガラモンの演出もまた素晴らしい。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ガラモンのスーツアクターは高橋実。 「ガラモン」は「ガラダマモンスター」の略。劇中で、弓ヶ谷地方では隕石のことを「ガラダマ」と呼んでいることに由来する。 脚本には「多角モンスター(多角獣)」と表記されており、クレジットや劇中のセリフは「モンスター」と表記されている。 放送開始前の新聞紙上で名前の公募が行われた。 ガラモンの原型は、ゴローの再登場編として予定されていたサンプルストーリー「ゴロー対スペース・モンスター」に登場するスペース・モンスターであり、その前日談となるスペース・モンスターの登場編として「ガラダマの谷」が執筆された。 その後、「ゴロー対スペース・モンスター」は制作されず、「ガラダマの谷」は大幅に改稿されて「ガラダマ」となったが、その経緯の詳細は明らかになっていない。 「ガラダマの谷」までは宇宙怪獣という設定であったが、「ガラダマ」の時点でロボット怪獣と設定された。 脚本を担当した金城哲夫は、骸骨から発想したが骨の怪獣では凄みがないため、隕石から生まれるという設定を加えたとする旨を番組放送前の新聞取材で発言している。初期設定では龍の顔をした多角獣というものだった。 デザインは成田亨が担当した。成田は後年発売された画集の中で、コチか何かの写真を参考に口を描き、イヌのような鼻と人のような目をつけたことを述べている。顔のイメージは、特技監督の的場徹がカサゴのイメージを提示したことによるものとも言われる。 「ゴロー対スペース・モンスター」でのスペース・モンスターはカニの頭・ヘビの胴体・サソリの尾・竜の足・1本1本がヘビとなっているたてがみを持つキマイラのような怪獣であった。「ガラダマの谷」の時点でスペース・モンスターは「多角獣」となったが、『「ウルトラQ」の誕生』ではこの変更は成田が妖怪的な怪獣は作らないという方針であったためと推測している。 造型は高山良策が担当した。体のトゲは、ラテックスを塗るとくっついてしまうため、アール状に反った刃のハサミで削りだしたウレタンによるもの。 ガラモンの着ぐるみはかなり小さく作られており、背の低い高橋実が演じたが、これは弓ヶ谷のダム湖セットを相対的に大きく見せるための措置であった。高橋の起用は的場の意見であったとされる。 その後、着ぐるみは次回作『ウルトラマン』に登場した小型怪獣ピグモンに流用されたが、その際にスーツアクターが小学生に代わったことによる改造で首と脚が約30cm伸びている。 ガラダマはFRP樹脂製。全身の赤い色は、ゴムを塗らずにウレタンを染めただけの淡い色であった。江戸川由利子役の桜井浩子も、後のピグモンのように真っ赤ではなかったことを証言している。 |
014 東京氷河期 ★★★ |
スタッフ | 脚本 山田正弘 |
監督 野長瀬三摩也 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 有馬昌彦 佐藤英明 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年4月3日放送 | 美術 成田亨 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率36.8% | ||||||
南極怪獣ペギラの第二作。 黒煙と共に登場するのが、何故か納得させられてしまう。 今回はビル群を破壊するなど特撮シーンが多い。ラスト近くに東京タワーを含む氷河期となった東京のロングのカットが映るが、ほんのニカット程度しか使われずにもったいない。 ラスト、少年の父親が特攻するのはいただけない。 |
015 カネゴンの繭 ★★★★★ |
スタッフ | 脚本 山田正弘 |
監督 中川晴之助 |
撮影 田島文雄 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 浜田寅彦 野村昭子 渡辺文雄 二瓶正也 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年4月3日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率28.5% | ||||||
中川晴之助監督の第三作目。 「金」に目のない少年がカネゴンに変身してしまい、元に戻ったと思ったら今度は両親がカネゴンになってしまったという、寓話的なお話。 少年たちの演出と、ヒゲおやじなどの大人たちとの対比が素晴らしい。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- カネゴンのスーツアクターは中村晴吉。金男役は辻沢敏で、声は麻生みつ子。 撮影は夏休みの間に行われた。辻沢はすでに変声期を迎えて子供らしくない声であったため、女性声優での吹替となった。 デザインは成田亨、造形者は高山良策。胴体は妊婦がモデルとしており、成田は頭部とのバランスを考慮して腹と尾を突き出したことを述べている。ラテックス成形で全身原型の型起こしによるもの。コインを掴むため、カネゴンの指はスーツアクターの指がそのまま使われている。 脚本を担当した山田正弘は、当時小学生であった息子が算数は苦手であったが金銭の計算はできたことに着想を得て、本話を執筆した。 また監督の中川晴之助は、当時の風潮であった拝金主義に対する風刺であるとしている。 助監督をつとめた満田かずほによると、等身大のカネゴンが都会の人混みの中を歩くシーン(完全ゲリラ撮影だった)が面白いということで、同年(1966年)怪獣の出るホームドラマ『快獣ブースカ』が誕生したという。ブースカとカネゴンのアクターは同一である。 またエンディングのシーンでカネゴンが2体(金男の両親の化身)登場するが、これはオプチカルによる合成で、満田は「(着ぐるみを)2体作った方が良かったのでは」と語っている。 工事現場監督の乗ったブルドーザーが動き出して転倒した際に、着ぐるみの頭部が外れるハプニングが起きている。 カネゴンから人間に戻るシーンは空中でボムッとカネゴンが爆発した後からパラシュートを着けた金男が現れる演出である。 佐原健二らのレギュラー出演が一人も登場しない唯一のエピソードである。 オープニングテーマ曲と石坂浩二のナレーションが使われないのは、同じ中川晴之助監督の『育てよ!カメ』に続き、放映順でともに2回目。 『ウルトラQ』は劇場映画用と同じ35mmフィルムで撮影していたが、中川晴之助は16mmの調子でカメラを回し続け、他の監督から「フィルム喰いのハルゴン」とあだ名を付けられた。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 辻沢 敏(1953年-)は、日本の元子役。 『ウルトラQ』のカネゴンに変身する少年・加根田金男を演じた事で知られる。目を閉じながら歯茎までも見せるニャッとした笑顔が個性的かつ印象的。 1963年に当時銀座にあった児童劇団のともだち座の一期生として入団した。翌1964年の終わり頃に円谷プロから出演者依頼の話が来て、写真審査の撮影時に笑顔で撮影した結果、一発で『ウルトラQ』の出演に決まったという。 当初は同作の「キリがない」でのメインキャラクターである時平少年としての出演予定だったが制作が没になり、その後「キリがない」の同監督である中川晴之助監督の「カネゴンの繭」での金男少年役がまわってきた。 その時は「キリがない」の時平少年の設定が小学6年生だったので、当初、脚本・設定では10歳の小学5年生の金男少年だったが、辻沢は小学6年生で演じる事になったので、後の『カラー版 怪獣ウルトラ図鑑』等のウルトラ関係の本には金男は小学6年生の設定になったとされている。 金男少年として登場する場面は合計約6分程度であり、しかも本人の声でなく麻生みつ子による吹き替えであったが、変身直前まで見せる個性的な笑顔と真夏のガキ大将スタイルや、忠告する両親に対するお金の亡者らしいセリフと巨大化した繭を見て踊り喜ぶ姿に、金男の姿に戻った後のカネゴンに変身した両親を見て画面一杯に顔をアップしながら驚く場面等は、個性的な容姿と現在でも人気と影響力を併せ持つ快獣であるカネゴンの誕生という、シュールで不気味ながらも生命のドラマに溢れる劇的な変身シーンを演じた事も相まって視聴者に強烈な印象を与えた。 その為に中学校に入った直後の1966年4月10日に「カネゴンの繭」がオンエアされると、クラスメイトのみならず全校で注目されるようになり、顔全体が赤面する程に恥かしい思いをしたという。その影響と並びに、カネゴンと金男の強烈なイメージが脱しきれない影響で子役を引退する事になった。 その後は海上自衛隊でP-3の教官を勤め、周囲からは「カネゴン教官」と呼ばれた。2011年に定年退官し、現在では保険関係の仕事に就いている。 (以下、『総天然色ウルトラQ 公式ガイドブック』P.132〜P.133から) 前述の個性的な笑顔が写真を見た製作スタッフに忘れられない程の印象を与えた影響とされている。 撮影開始前、既に声変わりを体験し、かなり大人っぽい声付きになっていたが、撮影時は声を発しながら演技をしたという。 野外ロケ地までは二台のロケバスで移動したが、辻沢は他の子役や役者が乗り込むバスとは違い、中川監督やスタッフと一緒にもう一台のスタッフ専用のバスに乗り込んで移動し、自分は主役を演じるんだなと実感したという。 ロケ初日にバス内では中川監督は辻沢にカネゴンに変身する事を告げられた後、辻沢はカネゴンの着ぐるみの写真と台本を目を通した後に苦笑しながら決意したという。また、撮影時は辻沢は中川監督から自由気ままで演じても良いと言われ、子供らしい演技を披露したという。 撮影は辻沢の夏休み最中の8月1日から二週間であり、先に辻沢が演じる約6分間の金男が登場するシーンが撮影され、恒例の小学校の臨海学校は行けなかったという。 最初は外でのシーンが撮影され、その撮影後、気温が暑くなってきたので靴下を脱いで裸足となり、その次に元の姿に戻って喜ぶ金男が家に戻って来た時のシーンが撮影された。 その後、暑さ対策と自分のクライマックスシーンの撮影の為に散髪した後(散髪屋は散髪後の見分けがつかない為に苦労したという。変身直前の金男の髪をよく見てみると僅かに短くなっている)、変身直前の両親との会話シーンが撮影され、 辻沢の最後の撮影シーンはクライマックスであるカネゴンへの変身シーンであり、変身シーンの繭に吸い込まれる場面を演じている時、本気になって足をバタつかせたが、繭に吸い込まれた場面の撮影直後、疲れからか何とも言えない不思議な感覚に襲われて繭の中で気を失ったという。 自分が演じるシーン撮影が終わると、まだ他の子役達とカネゴンが演じるシーンがかなり残っており、悪いなと思いつつも、カネゴンを産み残して撮影現場から去った後、普通の小学六年生の腕白小僧に戻って、残った夏休みを撮影前に両親から買ってもらって本編にも履いていた新品のスニーカーが真っ黒になる程に遊んだという。その為か臨海学校には行けなかったが小学生最後の夏休みは楽しかったという。 中学校の先輩からも「お前、カネゴンだろ?」と散々質問ぜめにあったとされている。 中学校の生物学に詳しい理科の先生は変身シーンに対してシュールな性的イメージを感じ取り、「カネゴンの繭」放送から数日後、辻沢に「変身を通じて新たなる生命の誕生をやりとげた」と会話しながら、変身シーンに独自の解釈を行い、それを聞いた辻沢は照れ笑いが止まらなかったという。 但し、年が経つにつれてカネゴンがウルトラシリーズを知らない一般人にも知っている快獣になってしまい、その知名度が上がるに至ってカネゴンは金男が変身して生まれたという事実と、自分がその金男を演じた事実を忘れられたと少し寂しい思いをしたという。 退官時の送迎パーティーには『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』に登場したデジタルカネゴンの着ぐるみが登場し、辻沢本人と周囲を驚かせた。 |
016 ガラモンの逆襲 ★★★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 野長瀬三摩也 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 平田昭彦 沼田曜一 義那道夫 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年4月17日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率31.2% | ||||||
第13話「ガラダマ」の続編。 怪しい宇宙人を演じる義那道夫が艶めかしく、久保明に似たトラック運転手の沼田曜一も面白い。 的場徹特技監督の、ロボット怪獣ガラモンの演出が相変わらず冴える。ブラブラさせた両手でビルを確かめる仕草など印象的だ。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「ガラモンの逆襲」でのガラモンは、名称はガラモン2代目やガラモンIIと記述している。 第16話では、オプチカルプリンターを使って1体しかないガラモンの着ぐるみを2体あるように見せている。また、劇中でガラモンを複数に見せるために2種類のマーキングを胸に付け、個体を識別するために違うマークをシーンによって付け替えて撮影された。 撮影中に汚れ、塗装するうちに白い腹部も赤くなり、結果的に体色の濃い機体ができた模様。無論、最終塗装であるため、撮影後に展示した着ぐるみを撮影したカラー写真は体色が濃いタイプである。 子供たちによって体のトゲをむしられていたため、その都度修理され、第16話では第13話と違う外見になった。 ワイヤーを引く場面では、自転車のブレーキが使用されている。 機能停止する際、マーキングを施された機体は口から液体を流し、東京湾の機体は口から泡を出す。 宇宙怪人 セミ人間の人間態を演じたのは義那道夫。 劇中では「遊星人」もしくは「宇宙人」と呼称されており、シナリオでは「遊星人Q」と記述されている。 書籍『ウルトラマン ベストブック』ではこちらに準じてチルソニア遊星人Qと記述している。 書籍『大ウルトラマン図鑑』では、ゼミラやジグソ星人と記述している。 第13話「ガラダマ」では登場しなかったが、一ノ谷博士は「モンスター(ガラモン)は我々人類より遥かに進んだ頭脳と文明を持つ遊星人の産物だ」と既に予言していた。 脚本には「蝋人形のような白い顔は中性的で、人間離れのしたゾクッとするほどの美人」とあり、準備稿ではイメージキャストとして丸山明宏(現:美輪明宏)が挙げられている。 デザインは成田亨。服の形状は「透明ビニールの背広」と称している。造形者は頭部は高山良策、体は佐々木明が担当。頭部はラテックス成形の原型起こし、体部分はウェットスーツを改造している。透明な背広も高山の手による。炎上するシーンは人形である。 頭部マスクはその後、バルタン星人へと改造された。高山が頭部を造形した際、色彩はつや消しであり、眼は発光していない。その後、撮影前に造形物に光沢が入れられ、円谷特技プロの機電担当だった倉方茂雄の手により、眼には発光と回転ギミックが仕込まれた。 宇宙船も『ウルトラマン』第2話「侵略者を撃て」でバルタン星人の物として、第33話「禁じられた言葉」でメフィラス星人の物として流用されている。 『総天然色ウルトラQ』では、デザイン画をもとにアブラゼミのような茶色で着色された。 |
017 1/8計画 ★★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 堺左千夫 村上冬樹 |
特殊技術 | 特技監督 有川貞昌 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年4月24日放送 | 操演 石井清四郎 |
美術 井上泰幸 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率31.7% | ||||||
タイトルバックは昭和41年当時の渋谷駅。 8画面の分割のタイトルは当時でも斬新であり、そしてかなりオプチカル料金がかかったのではにいかと思われる。 物語は一種の白日夢だが、1/8計画を進める官憲に対しての皮肉もかなり込められている。 監督の円谷一は7年後の1973年に41歳で亡くなっている。 この作品を見ても、監督としての才能はかなりのもので、早逝が悔やまれてならない。 長生きすれば、円谷英二の意思を継いだ作品化を、多く世に送り出したに違いない。 ---------------------------------------------------------------------------------- 円谷 一、1931年生まれ。 ラジオ東京→KRT(テレビ事業は現在のTBSテレビ)に入社後、演出部にてディレクターとしてテレビドラマを制作。『おトラさん』や『純愛シリーズ』といった作品にも演出として携わっていた。中でも、1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。特に子供の描写が得意とされた。 1963年、TBSがテレビ映画の自社製作を行なうために映画部を新設すると、飯島敏宏、中川晴之助らとともに映画部に異動して、TBS初の特撮テレビ映画『ウルトラQ』の制作にあたった。 『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といった特撮番組の監督を務め、奇抜な演出方法が周囲に理解されずTBSで干されていた実相寺昭雄を拾うなど、シリーズの隆盛に力を尽くした。 円谷一が『ウルトラマン』で監督を務めた「ミイラの叫び」や「オイルSOS」に登場する怪獣(ドドンゴ、ペスター)は、彼の意見を採り入れ、いずれもぬいぐるみ(着ぐるみ)に演技者が二人入る斬新なものだった。 1970年、父・英二の病死によりTBSを退社し、円谷プロダクションの社長に就任。 財政難から、危機的な経営状況にあった同社の経営建て直しに奔走する。社長と監督は兼任できないと宣言して、以降はプロデューサーとして作品に携わるようになる。 同年『ウルトラファイト』の制作を開始。この番組の人気により、本格的な特撮番組を求める声が高まると、1971年に『帰ってきたウルトラマン』と『ミラーマン』(フジテレビ)をプロデューサーとして制作し、第二次怪獣ブームの火付け役となる。 以降、『ウルトラマンA』等の番組の制作にも携わるが、社長就任以降、営業や接待に奔走した結果、持病だった糖尿病、および高血圧が悪化。妻と離婚し、赤坂のクラブのママと再婚するなど、生活も乱れた。 1973年2月9日、起床直後に脳溢血を発症して突然倒れ、病院に搬送されたが間もなく死去。享年41。 父親の死からわずか3年後のことである。 円谷プロは英二・一父子の相次ぐ死去などの不幸が相次いだ。この厄払いの意味で1973年4月22日に二子玉川園において 同社で制作された番組で命を落とした怪獣達の供養が行われた。これには円谷プロ関係者のほか、 当時放送中の『ウルトラマンタロウ』『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』の出演者が出席し、司会は岸田森が行なった。 円谷一は、演出家は脚本を書くこともできなければならないとの考えから、ウルトラシリーズに携わった演出家に数多くの脚本を書くことを勧めている。初期のウルトラシリーズに本編の監督がペンネームを用いて脚本を書いているのはそのためである。ただしこれは、監督料だけでは生活できないでいた若手の監督たち、とくに妻帯者となった監督たちの収入を増額させるためでもあった。 しかし、円谷一自身はウルトラシリーズでは脚本を書いていない。脚本家・上原正三へのインタビューによると、円谷は脚本家との打ち合わせの際にはかなりのアイディアを提供したようだった。 こうした一方で脚本家に対する要求は厳しく、円谷一が弟のように信頼しかわいがっていた金城哲夫に対しても、たびたび厳しい叱責の言葉とともに原稿をつきかえし、脚本家は再々書き直しを要求された。 中でも、『ウルトラマン』の最終回「さらばウルトラマン」の初稿シナリオでは、ゼットンに派状光線で攻撃され倒れた ウルトラマンが起き上がろうとするもカラータイマーを潰し割られるという展開だったところ、彼が子供たちのヒーローを残酷に殺すことに強く反対したため、現在の形に修正されたという。 当時の番組制作の様子が描かれた『ウルトラマンティガ』の「ウルトラの星」では、円谷が金城に対して「このホン、面白い?」と突き返して書き直しを命じるシーンがあるが、この回の脚本を担当した上原正三は「僕もライターとして、円谷一監督には、あのままやられましたからねえ」と回想している。なおここでは円谷一の役を、息子の円谷浩が演じている。 『ウルトラマン』において、円谷は第1話や最終回などの作品の節目となる重要な話を何本も演出しているが、第1話「ウルトラ作戦第1号」では、彼がウルトラマンの声を演じるという話が出ていたという。 ウルトラマンとハヤタ隊員が赤い玉の中で会話するシーンで、ウルトラマンの話す声(ウルトラマンが日本語を話す部分の音声)を当時、TBS放送劇団に所属していた中曽根雅夫が担当する予定だったが、中曽根はアフレコ収録時間に大幅に遅れてしまう。 しかし中曽根を待つ時間的余裕がないため、監督の円谷が「それなら自分が」と引き受けた。しかし、本番でうまくいかなかったため、編集担当の近藤久が代わって引き受けることとなり、光の国の宇宙人と地球人とのファーストコンタクトシーンの画像が完成したという。 ただし、ウルトラマンの「シュワッチ!」などのかけ声(効果音)は、中曽根のものである。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 第17話の監督を務めた円谷一によると、映画『三大怪獣 地球最大の決戦』の撮影時にミニチュアの陰で居眠りしていたスタッフが、本番中に立ち上がった出来事から発案された設定だと著書で紹介している。 また、SF小説『縮みゆく人間』も発想元になったとされる。怪獣路線への変更で見送られる可能性もあったが、TBSプロデューサーの拵井巍がS13地区に現れる万丈目と一平を怪獣に見立てることができるとの見解を示したため、制作にこぎつけられた。 準備稿では、由利子ら3人が1/8計画が実行された3964年の世界に迷い込むという筋書きであった。マットアート合成によって撮影され、1/8サイズの由利子は周囲のものを大きく作ることで表現された。 1/8サイズの由利子が毎日新報へ電話をかけようと、大きな電話のダイヤルを回してそれが戻るシーンでは、桜井浩子曰く「戻す時は裏にスタッフがいて、必死になって戻した」とのこと。また、受話器を外すときに重くて下に落として壊してしまい、NGになったこともあったという。 セット内で別れの伝言を書くシーンに使用された大きな鉛筆は、鉛筆の先にマジックインキのペン先を取り付けたものであり、桜井は今でもこの大きな鉛筆を記念に持っているという。 |
018 虹の卵 ★★ |
スタッフ | 脚本 山田正弘 |
監督 飯島敏宏 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 堺左千夫 村上冬樹 |
特殊技術 | 特技監督 有川貞昌 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年5月1日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率28.9% | ||||||
山から突然現れる怪獣パゴスの意味が不明。上海に一度現れたらしいが説得力無し。 原子力都市と、虹と卵の寓話的お話を結びつけるには無理がある。 飯島敏宏の子供への演出も、中川晴之助と比べると画一的で、いかにも上手い子役を集めたキャスティングは、鼻につく。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- パゴスのスーツアクターは中島春雄 本作品は、「206便消滅す」と並んで『ウルトラQ』最多の4種類の台本が確認されており、第1稿と第2稿ではゴメスが登場している。 一ノ谷博士の調査により、リトラとの戦いで死んだゴメスには分子構造破壊光線を吐く器官が備わっていたことが、万城目の口から語られている。なお、怪獣がパゴスに変更されたのは、すでにゴメスのスーツが東宝に返却されてゴジラに戻されていたためである。 デザインは成田亨。着ぐるみは東宝映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』のバラゴンの改造。 頭を切り離して円谷特技プロに貸し出され、高山良策によって脇から腰を布で覆ってモールドを追加して保護されたうえで化粧を直され、頭が新造形された。『Q』以後は『ウルトラマン』にてネロンガ→マグラー→ガボラ→アトラクション用ネロンガに改造され、 『怪獣総進撃』用に再びバラゴンに戻された。『ウルトラマン』のマスコミ向け撮影会時の茶色いネロンガは、背びれもなく黄色い虎縞もないパゴスの体色のままである。 第3稿(決定稿)では、パゴスの正式名称をパゴタトータス(PAGODATORTOISE)としている。ただし、第4稿(決定稿2)ではその記述は削除されている。 『総天然色ウルトラQ』では、放送当時の『週刊少年マガジン』で表紙に用いられたカラーグラビアを参考に着色された。 分子破壊光線の合成については、着色委員会の品田冬樹が監督の飯島敏宏へ直接電話取材を行って確認した。 |
019 2020年の挑戦 ★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 千束北男 |
監督 飯島敏宏 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 小林昭二 柳谷寛 |
特殊技術 | 特技監督 有川貞昌 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年5月8日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率28.6% | ||||||
ケムール人のデザインが秀逸。 特に興奮すると、頭から液体を吹き出すのが、艶かしくてエロい。 小林昭二の役は意味不明。 刑事が消えていくラストもいま一つ。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ケムール人のスーツアクターは古谷敏。デザイナーの成田亨は、ケムール人とラゴンを演じた古谷のプロポーションに惚れ込み、ウルトラマンのデザインを着想したとされる。 脚本は、「映画『美女と液体人間』のようなもの」という円谷一からの要望をもとに、千束北男(飯島敏宏)が自身の愛好する宇宙の要素を加え、宇宙人による消失ものとなった。消去エネルギー源の描写は、『美女と液体人間』の液体人間と同じく有機ガラスを用いて撮影された。 等身大時の声には1963年公開の東宝映画『マタンゴ』に登場する怪物マタンゴのものが流用されており、『ウルトラマン』に登場するバルタン星人の声と同一である。数種類あるこの笑い声の音源は、ビクターエンタテインメントから発売されている効果音CDで確認できる。 巨大化時の声には1955年公開の東宝映画『ゴジラの逆襲』に登場した時のゴジラ(アンギラスとの戦闘時)のものが流用されたが、『ウルトラゾーン』以降は等身大時の声に流用された。 両手を大きく振り上げてジャンプするように走るという独特の走法は、飯島敏宏の演技指導によるものである。パトカーの前を走る描写は、パトカーの映像にケムール人を焼きこんでいる。 初代ケムール人のカラー写真は現存しないため、二代目などに流用された顔部以外の体色は不明であったが、デザインおよび着ぐるみに塗装した 成田亨がギザギザ模様は鮮やかなブルーだった(ペンキを成田自身が混色したと述べている)と証言したため、フィギュアなどはこの証言に基づいて塗装されている。 頭部は『ウルトラマン』の二代目にそのまま使用されていたが、デザイナーの意志の尊重と全体での統一感を持たせるため、目の色以外は異なるものとなった。夜間シーンが多いことから着色が難しく、テストが繰り返された。 着ぐるみの造形は頭部、グローブ、ブーツを高山良策、ボディを成田と特撮班の美術スタッフが担当した。 頭部は『ウルトラマン』に登場する二代目やゼットン星人に、胴体は『快獣ブースカ』第11話の人間コング(原始人のような容姿のサーカスの怪力男)に流用されている。 書籍『超人画報』(竹書房)では、アメリカのテレビドラマ『アウター・リミッツ』第1話に登場する グレートアンドロメダ星人の影響を指摘している。 検討されていた第2クールのタイトル「東京大津波(パゴス対ケムール人対ガラモン)」への登場が予定されており、 パゴスやガラモンと戦う予定だった。 |
020 海底原人ラゴン ★★★★ |
スタッフ | 脚本 山浦弘靖 大伴昌司 野長瀬三摩地 |
監督 野長瀬三摩地 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 笹川恵三 珠めぐみ 江幡高志 黒沢年男 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年5月15日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率34.0% | ||||||
ラゴンのスーツアクターも、ケムール人に続いて古谷敏が演じている。 また成田亨のデザインが素晴らしい。造形も見事だ。 特にラストの、博士の妹を見つめるラゴンの表情は忘れがたい。テレビを見た視聴者たちに深く刻みつけられた事だろう。 怪獣怪人は全て人間と敵対する存在ではない、ということを初めて表現した作品。 このテーマは「ウルトラマン」でも引き継がれていく。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ラゴンのスーツアクターは古谷敏 大伴昌司による原案では探検隊ものであったが、監督の野長瀬三摩地はそれでは映画『大アマゾンの半魚人』と変わらないと考え、映画『フランケンシュタイン』を意識したホラーに日本的な母子のメロドラマを加味したものとなった。 本作品でラゴンが音楽好きであることが紹介されており、後述の『ウルトラマン』における設定に生かされることになった。 デザインは成田亨。成田は一般的な半魚人像を描いたものとしている。造型は高山良策、目の電飾は倉方茂雄による。撮影で使用されたスーツは、ウェットスーツにラテックスの鱗を張り付け、スプレットサテンで彩色したもの。瞼と口は手の中にある握りによって開閉している。子供の造形物はマリオネットのような構造で製作されている。 頭部は『ウルトラマン』の巨大ラゴンに流用された。1994年時点で目と骨組みだけが現存していた。 鳴き声はキングコングやバラゴンのそれを加工したものである。 『総天然色ウルトラQ』では『ウルトラマン』登場時の色が参考にされたが、両作品に出演した桜井浩子のカラー放送用に塗り直されていたという証言をもとに、より落ち着いた色として着色された。プロップも現存していたが劣化が激しく、目の色のみが参考にされた。 |
021 宇宙指令M774 ★★ |
スタッフ | 脚本 上原正三 |
監督 満田かずほ |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 藤田進 水木恵子 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年5月22日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率30.9% | ||||||
エイの怪獣ボスタングが、どう地球に危害を加えるのかが不透明。結局巡視艇の砲撃で排除できたわけだし。 2つのプロットをむりやり詰め込んだ構成。 「あなたのそばにも宇宙人が居るかも」これが本来のテーマで、派手さがないからボスタングを登場させたのかも。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ボスタングは『ウルトラQ』の未使用シナリオ「Oil S・O・S」に登場する予定だった怪獣クラプトンの操演用ミニチュアを改造し、流用したもの。 爆破用のボスタングはクラプトンの小を改造したもの。 造形は高山良策によるもので、高山は「Oil S・O・S」の制作中止を伝えられていたが、すでにミニチュアを完成させていた。 特撮シーンのほとんどは東宝の大プールで撮影された。 『総天然色ウルトラQ』では、現存していたプロップを参考に着色された。海中の孵化シーンは、そのまま着色しただけでは光源が近く浅い場所に見えてしまうため、日本側で補正して深海を表現した。 ルパーツ星人を演じた水木恵子は、監督の満田かずほが過去に携わっていたTBSの番組に出演しており、満田は水木が結婚後に引退したものと思い込んでいたが現役であったことを知り、本作品に起用した。 ルパーツ星人のサンダルは地味なものが用いられていたが、『総天然色ウルトラQ』では印象的にするため金色に着色され。朱川湊人の小説『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』では直接登場はしないものの、「ガーベラ遭難事件」の情報提供者として名前が語られている。 |
022 変身 ★★ |
スタッフ | 原案 金城哲夫 脚本 北沢杏子 |
監督 梶田興治 |
撮影 内海正治 |
照明 後藤忠雄 |
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単発出演 野田浩三 中真千子 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年5月29日放送 | 光学撮影 中野稔 |
美術 石井清四郎 |
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視聴率26.9% | ||||||
「大怪獣バラン」の主演である野村浩三が、この回の主人公を演じている。 蝶に感染して巨大化するのは分かるが、ラスト、どのような光線を発して元に戻ったのが説明無しなので訳わからない。 宇田川礼雄のセリフがなさ過ぎ。 また変身して巨人獣になった男も、恋人に対して何を欲しているのか演出が統一されていない。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 『ウルトラQ』の前身である『UNBALANCE』で原案を手がけた金城哲夫は、当時制作進行であった熊谷健から聞いた辰子姫伝説をもとに発想した。 浩二の名はナレーションを担当した石坂浩二に由来する。脚本を担当した北沢杏子は、執筆当時に放送作家による研究会で学生時代の石坂と知り合っていた。 『UNBALANCE』としての最初の台本(第1稿)では、骨子は完成作品とほぼ同一だが、クライマックスで巨人となった浩二があや子と会話を交わすシーンの存在、浩二が熱原子X線によって元の姿に戻った直後に絶命するという点が異なる。 『総天然色ウルトラQ』では、日焼けをしているという想定で肌を浅黒く着色された。腰巻きは、放送当時の雑誌で「赤い」と記述されていたが、これはモノクロ撮影での発色を考慮したものと判断され、自衛隊のテントを用いたという想定でサンドカーキとなった。 |
023 南海の怒り ★★★ |
スタッフ | 脚本 金城哲夫 |
監督 野長瀬三摩地 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 久保明 高橋紀子 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年6月5日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率30.1% | ||||||
久保明がゲスト出演している。 孤島の巨大タコもの。円谷英二は本当にタコが好きだ。 「キングコング対ゴジラ」のタコシーンのカットが、かなり流用されている。 本編カットでの実物大のタコ足と、特撮シーンとの編集が巧みで迫力ある。 空爆でも死なないタコが、槍投げ攻撃で死んでしまうのは拍子抜け。 現地人役の高橋紀子がエロい。 高橋は1964年、東宝へ入社。東宝ニュータレントを経て、映画『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』でデビュー。 大きな眼のキュートな魅力にあふれ、着実な歩みで1969年度制作者協会新人賞を受賞。 1970年に俳優の寺田農と結婚し、芸能界から引退(寺田とは2006年に離婚している)。 趣味は、ボウリング、ジャズ鑑賞。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 巨大なタコの登場は、『UNBALANCE』のサンプルストーリー「大蛸の逆襲」「老婆と美女」などでも検討されていた。 造形物は東宝映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』で制作された大ダコの流用で、足1本のみ新規に高山良策により造型されている。 撮影で使用されたものは、東宝に返却され、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』に使用された。 原島民たちや万城目たちがスダールと戦うシーンは『キングコング対ゴジラ』の映像を一部(モノクロ)流用しており、脚本自体がこの流用を前提に書かれている。 成田亨により巨大魚としてのデザインが描かれているが、脚本が大ダコの流用を前提としていたため未使用に終わった。 名称の由来は酢蛸。 |
024 ゴーガの像 ★★ |
スタッフ | 脚本 上原正三 |
監督 野長瀬三摩地 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 松下達夫 田原久子 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年6月12日放送 | 美術 成田亨 |
光学撮影 中野稔 |
助監督 鈴木俊継 |
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視聴率27.0% | ||||||
上原正三の脚本がよく練られていて面白い。 最初の、車がバックしながらの爆破シーンが素晴らしい。 ゴーガも派手にビルを壊して、久々に見応えがあった。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「太古から甦った貝の怪獣」というコンセプトは、NG脚本の「化石の城」のアーム貝を継承している。 「化石の城」の原型となったサンプルストーリー「生きている化石」では怪獣の名前はカイゲルであった。 デザインは成田亨。モチーフは貝殻とナメクジ。 ゴーガは大(1メートル)・中(30センチメートル)・小(8センチメートル)の計3体が造型されたが、一番大きいものは撮影時に作中描写のまま、実際に焼却された。ドリルのギミックは書籍『ウルトラマン白書』では倉方茂雄によるものと記述しているが、書籍『キャラクター大全 総天然色ウルトラQ下巻』では佐々木明と記述している。 脚本では目から溶解液を放つとされていたが、映像では光線として表現されている。書籍『円谷プロ全怪獣図鑑』では「怪光線」と記述している。 「ガラモンの逆襲」のセットで撮影された特写会のスチール写真(東京タワーを挟み、ペギラ、パゴス、カネゴン、ゴーガが集合)が存在している。 『総天然色ウルトラQ』では、現存していたカラー写真を参考に着色された。特撮シーンで映り込んでいた操演スタッフの手は修正されている。 『ウルトラマン』のオープニングのシルエットには、ゴーガのものが使用されている。 映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』では、ベリュドラの左腕を構成する怪獣の1体となっている。 |
025 悪魔ッ子 ★★★★ |
スタッフ | 原案 熊谷健 脚本 北沢杏子 |
監督 梶田興治 |
撮影 内海正治 |
照明 後藤忠雄 |
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単発出演 小杉義男 坂部紀子 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年6月19日放送 | 光学撮影 中野稔 |
美術 石井清四郎 |
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視聴率31.5% | ||||||
「ウルトラQ」シリーズの中でも異色の一本。 合成画面での幽体離脱のシーンが素晴らしい。 特にラストの線路の上の二人のカット。綿密な絵コンテを作成した上での撮影だったはずだ。 この線路の上を歩く二人のカットは、デヴィッド・クローネンバーグ監督の初期の傑作「ザ・ブルード/怒りのメタファー(1979年)」を想起させられる。 まさかクローネングバーグがこの「悪魔ッ子」を観ていたとは思えないが、あまりにも相似している。 リリー役の女の子が抜群。この子のキャスティング出来たことが作品の成功の一因だろう。 幼少時に見たらトラウマになるようなカルト的作品。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 『ウルトラQ』の前身である『UNBALANCE』時代に原案を手がけた熊谷健は、座敷童子から発想したと述べている。 精神体のリリーは黒バックで撮影した姿をフィルムに光学合成で焼きこむ表現が用いられた。作画合成による表現が1カットのみ存在している。 終盤の舞台は、当時SLが走っていた八高線。クライマックスで万城目が線路からリリーを助けるシーンは、円谷プロの依頼で列車を走らせ、合成ではなく一発撮りで行われた。 笑い声は、東宝映画『マタンゴ』に登場するマタンゴの声を流用している。 シナリオでは、赤沼は赤ん坊の時分にリリーを拾い、我が子のように育ててきたことが語られている。 『総天然色ウルトラQ』では、肌の色が濃いことからそのまま着色したのでは幽体の方が血色良く見えてしまうため、青白く光るように着色された。 『ウルトラQ dark fantasy』ではリメイクキャラクターのリリーが登場している。 |
026 燃えろ栄光 ★★ |
スタッフ | 脚本 千束北男 |
監督 満田かずほ |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 工藤堅太郎 穂積隆信 |
特殊技術 | 特技監督 的場徹 |
撮影 高野宏一 |
照明 小林哲也 |
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1966年6月26日放送 | 美術 成田亨 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率30.8% | ||||||
シーン変わりの画面効果に映像的な工夫が見られて面白いが、 人気ボクサーが、小動物のピーターの言いなりなっているのが理解し難い。 ピーターがあまりにも着ぐるみ然として興ざめ。 ラストで炎に巻かれたピーターはどうなったのか?またボクサーはその後、どうしたのか? 意味不明の脚本。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 深海怪獣 ピーターのスーツアクターは中村晴吉。 ダイナマイトジョーが水槽で飼育しているシーンの小さなピーターは、メガネカイマンなどのワニの子供を撮影に使用している。 デザインは成田亨。成田は既存の生物の巨大化はデザインしないという方針であったが、カメレオンそのままの姿となっている。 ぬいぐるみ制作者はエキスプロダクション。等身大時は四足歩行、巨大化時は二足歩行と、細部のデコレートが違う(本編撮影の後に改修された)。 鱗に小さな鏡を貼り付けて炎の照り返しを受けるようになっているほか、口元に髭が生え、口には巻き舌のギミックが付いている。人間大時のアップシーンにも改修後の着ぐるみを使用している。 巨大化するシーンのピーターは、小型モデルを光学合成して使用している。1966年4月に多摩テックで開催された「ウルトラQ大会」で展示されたのちに、高山良策によって、『ウルトラマン』のゲスラに改造された。 火事のシーンは、東京美術センターがある丘のふもとにて消防車を待機させた状態で撮影された。 『総天然色ウルトラQ』では、放送当時のイベントで展示されていた際のカラー写真を参考に着色された。幼体の色はメガネカイマンが参考にされた。顔のアップではセット裏のベニヤの梁が映っていたが、修正されている。 |
027 206便消滅す ★★ |
スタッフ | 脚本 山浦弘靖 金城哲夫 |
監督 梶田興治 |
撮影 内海正治 |
照明 小林和夫 |
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単発出演 小泉博 伊藤久哉 桐野洋雄 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1966年7月3日放送 | 美術 渡辺明 |
操演 石井清四郎 |
光学撮影 中野稔 |
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視聴率35.2% | ||||||
着想は面白い。ただ異次元の世界に怪獣が住んでいるのはどうか。 このアザラシ怪獣は「妖星ゴラス」のマグマの流用だろう。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 怪獣のスーツアクターは福留幸夫。 「虹の卵」と並び、『ウルトラQ』最多の4種類の台本が確認されている。 このうち第1稿(『UNBALANCE』名義の準備稿)と第2稿(『ウルトラQ』名義の準備稿)は、山浦弘靖の単独執筆。 異次元空間の謎を解明することに徹した展開となっており、怪物は登場しない。第3稿(『ウルトラQ』名義の決定稿)から金城哲夫が加わり、TBSの意向を汲んで怪獣を登場させた。 劇中では「トドラ」の名称は使われず、「巨大なアザラシ」と呼ばれている。脚本の表記は「大アザラシ」。 着ぐるみは、東宝映画『妖星ゴラス』に登場した南極怪獣マグマにヒゲを追加して改造したもの。 急遽怪獣を登場させることとなったため、着ぐるみの新造や大幅な改造をする時間はなかったとされる。 胴体は白く塗り直され、覗き穴が目立ってしまっている。 『週刊ウルトラマンオフィシャルデータファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)によれば、四次元空間に零戦の残骸が散乱しているシーンは監督の梶田興治のお遊びだという。また、同書籍によれば、検討された第3クールに登場が予定されており、名前が確認されている。 『総天然色ウルトラQ』では、現存していたカラー写真や人工着色のブロマイドなどが参考にされた。 |
028 あけてくれ! ★★★ |
スタッフ | 脚本 小山内美江子 |
監督 円谷一 |
撮影 内海正治 |
照明 後藤忠雄 |
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単発出演 柳谷寛 東郷晴子 天本英世 |
特殊技術 | 特技監督 川上景司 |
撮影 高野宏一 |
照明 堀江養助 |
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1967年12月14日放送 | 光学撮影 中野稔 |
美術 石井清四郎 |
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視聴率19.9% | ||||||
一度お蔵入りになった回。 確かに子供向けの内容ではない。 最初は「あけてくれ」だが、ラストには「のせてくれ」になっている。 テーマを考えると「のせてくれ!」の題の方が良かったのではと思う。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 元になった列車は小田急3100形電車(NSE)。車輌の数が異次元では4両編成、現実世界では8両編成になっている。 ミニチュアは第10話「地底超特急西へ」でも普通の電車として使用されており、新東京駅を通過している場面が見られる。 「異次元列車の車掌」(演:堤康久)は、ケイブンシャの『全怪獣怪人大百科』に掲載されたことがある。 また、書籍『円谷プロ全怪獣図鑑』では、怪獣として「異次元に住む人」、その補足情報として異次元列車が掲載されている。 『総天然色ウルトラQ』では、当時の小田急ロマンスカーの色が忠実に再現された。 夜空を飛行するシーンでは、特撮の照明が明るいため、暗く補正された。 |
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