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円谷英二的日本特撮映画史



妖怪百物語
★★★★

1968年(昭43)3月20日公開/大映京都/80分
総天然色/大映スコープ
 
企画 八尋大和 脚本 吉田哲郎  監督 安田公義
撮影 竹村康和 音楽 渡辺宙明  美術 西岡善信
 特撮監督 黒田義之  撮影 田中省三 美術 加藤茂
照明 美間 博  - - - -
出演-藤巻潤・高田美和・坪内ミキ子・ルーキー新一・神田隆・五味龍太郎・八代目林家正蔵・平泉征・吉田義夫
語り-内藤武敏


「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」と同上映された、「大魔神逆襲」以来1年4ヶ月ぶりの大映京都の特撮作品。
本編監督は「大魔神」の安田公義があたっている。

「大魔神」シリーズのような派手な特撮はないが、構成がしっかりしていてラストまで面白く見られる。
併映の「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」が、脚本担当した高橋二三自ら「お子様ランチ映画」と自虐したのと比べて、「大魔神」シリーズと同じく、「子供向け映画」などと手を抜かずにしっかりと重厚に作り上げられている。

隠れ隠密の爽やか笑顔を絶やさない藤巻潤と、心寄せる坪内ミキ子。憎ったらしい吉田義夫と神田隆、五味龍太郎。
大映京都のやりつくしたパターンのお話と配役ではあるが、安定した面白さがある。

クライマックスの、五味龍太郎と妖怪たちの乱舞。高速度撮影を考慮しての画面構図と演出が見事た。さすがに絵コンテ主義者の安田公義監督。
またそれに続く、妖怪たちが棺桶を持って歩き去る百鬼夜行のシーンが素晴らしい。
高速度撮影と二重三重の合成を重ねている。画面が荒れていないので生合成だと思う。

二本立て興行としては、
「妖怪百物語」で子供たちを怖がらせ、「ガメラ」で応援させてスカッとさせる。大ヒットしたのも頷ける。

このあと「妖怪大戦争」「東海道お化け道中」とシリーズ化されていく。

以下Wikiより転載

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『妖怪大戦争』、『東海道お化け道中』と並び、「大映京都の妖怪三部作」と称される。

この年(1968年)1月からテレビで放映開始された『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』(東映動画、フジテレビ)は、子供たちの間で「妖怪ブーム」と呼ばれる社会現象を起こしていた。その中で大映東京撮影所制作の『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(湯浅憲明監督)と併せて春休み興行として公開された本作は、観客の子供たちの反応が非常に良かった。また社内での注目度も高く、大映側はこの新しい「妖怪もの」を同年暮れの冬休み興行に組み込み、次回作『妖怪大戦争』(1968年)へとシリーズ化することとなった。
京都と東京の撮影所による「特撮映画二本立て」の興行は、円谷英二ひとりが特撮担当をしていた東宝にも実現できなかった豪華興行スタイルとして、前々年(1966年)の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と『大魔神』に次ぐかたちで誕生した。

本作に取り上げられた「百物語」は、江戸時代の落語家である初代林家正蔵が盛んにしたもの(本作公開時の劇場パンフレットによる定義)で、江戸の人々が行っていた怪談話の会である。劇中では、初代林家正蔵の役を八代目林家正蔵(のちの林家彦六)が演じている。物語はこれを主軸に置き、怪談仕立ての硬質な時代劇であるが、但馬屋の新吉(演じているのは当時活躍していた上方芸人・ルーキー新一)が傘のお化けと戯れるユーモラスな線画アニメーションとの合成シーンもあり、ドラマに緩急をつけている。

本作に出てくる妖怪たちは、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』などを参考にして水木しげるによって描かれていた少年雑誌の画報記事の妖怪画などを元に、八木正夫を中心にエキスプロダクションが造型した。
一部に同じ大映京都作品の『赤胴鈴之助』シリーズに登場する敵の造形物(造形は大橋史典の手によるもの)を改造流用した結果「青坊主」などのように水木及び江戸時代の伝承と異なる風貌になったものや、『百鬼夜行絵巻』の名称不明の妖怪を元に造型をして独自に命名をした「とんずら」のようなものもある。一部の妖怪はマスクや造形物をかぶった子役が演じている。妖怪のとんぼ返りは専門のトランポリン技術者を呼んで撮影された。

絵コンテ職人としても知られる監督・安田公義は本作でも全編にわたる絵コンテを自ら描き、「安田組スタッフルームは各種の妖怪の絵が貼りめぐらされ、早くも怪奇ムードが一杯で、さながら妖怪博物館だ」と当時の大映の広報誌では報じられている。

安田監督は製作開始を前に次のようにその意気込みを語っている。
「江戸の庶民の作ったお化けは、総体に怖いばかりでなく、どことなく茶目ッ気があるもので、こんどお化けのスター格で抜擢する〈ろくろ首〉〈一本足の傘〉〈ノッペラボウ〉〈大首〉など、みなその観が深い。その他〈土ころび〉〈火吹き婆〉〈おとろし〉などをはじめ、当時の文献や絵画に出ていたいろいろなお化けを最低三十は出すつもりだ。最後の場面の、勝利に喜ぶ妖怪のデモ行進が、王朝時代の「百鬼夜行絵巻」ほどに芸術的に消化されれば成功だと思う。」

但馬屋主催の料亭での百物語のシーンでは合計4枚の妖怪屏風絵が作られ、『百鬼夜行絵巻』を手本にして本作登場の妖怪たちが描き込まれた。撮入前には、撮影所に妖怪の作り物を供え、制作者全員が一堂に会し、撮影中の安全とヒットを祈願して僧侶によるお祓いも行われた。

<主な登場妖怪>
置行堀(おいてけ掘)-本所七不思議のひとつ。
人魂・化け提灯-普通の提灯がこのお化けになり、一瞬で飛び去る。
河童-ぬいぐるみは次作『妖怪大戦争』(1968年)のものとは別のもの[9]。
ひょうすべ-当時小学6年生の子役・河内保人が演じた。豊前守の屋敷に現れる。最後の棺桶行列では、行列の周りを喜色満面に飛び跳ねていた。
一つ目小僧-当時小学6年生の子役・大川淳が演じた。豊前守の屋敷に現れる。最後の棺桶行列が出発する際に、門扉を開いて行列を誘導する。
油すまし-子役の別府敏保が演じている。一声かけるとすべての妖怪が姿を消す。
ぬっぺっぽう-子役が入って演じた。豊前守の屋敷に現れる。最後の棺桶行列では棺桶は担がず、そばを歩いた。
ぬらりひょん-子役が演じている。最後の棺桶行列では、しんがりをゆったりと歩いた。
青坊主-「右近の橘」に位置する妖怪忍者。『赤胴鈴之助 鬼面党退治』(1957年)に登場した「山犬神」の面を改造したもの。最後の棺桶行列では、行列の周りを喜色満面に飛び跳ねていた。
烏天狗-『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』に登場した「鳥人」[11]の被り物を『釈迦』(1961年)で再利用し、さらに今回改造したもの。豊前守の屋敷に現れる。最後の棺桶行列では、最前列に立った。
土転び-ぬいぐるみの中に演技者が3人入って動かした。劇場パンフレットによると「毛は、マニラ麻を染めて植えつけた苦心作」。
のっぺらぼう-「置いてけ掘」でたたりに遭った浪人や、氏神社殿を取り壊した重助親分の目の前に、次々に知人たちが眼も鼻もない顔になって現れる。
一角大王-妖怪の近習頭。火吹き婆と共に人間に化けて堀田邸に現れる。天井から逆さにぶら下がるなど身が軽い。最後の棺桶行列では3番目の棺桶を担いだ。
白粉婆-但馬屋と重助親分を、甚兵衛殺しの場の掘割に足止めするために現れる。最後の棺桶行列では、列の最後尾をついて歩いた。
ろくろ首-毛利郁子が演じた。毛利は次作『妖怪大戦争』(1968年)でも「ろくろ首」を演じている。「ブラックシアター」方式で撮影された。
一本足の傘(からかさ)-ピアノ線による人形操演によって表現。劇場パンフレットによると、制作には30日かかり、50本のピアノ線を使って、6人がかりで操った。
狂骨-最後の棺桶行列では、列の周りをふわふわと漂った。人形の操演で表現した。三角布を額に着けており、次作『妖怪大戦争』よりもリアルな髑髏表現になっている。『妖怪大戦争』、『東海道お化け道中』の映画ポスターにはこの『妖怪百物語』版の写真が使われている。
大首-但馬屋、重助、豊前守の3悪人とも、この妖怪との遭遇後に絶命する。画面いっぱいに迫る大首シーンは、『大魔神』においても効果的に導入されたブルーバックの手法で合成されている。

<雑誌掲載>
『週刊少年キング』(少年画報社)
1968年12号 - 14号にかけて集中特集掲載。水木しげるによる漫画『妖怪百物語』が連載された。
『週刊少年マガジン』(講談社)
1968年12号で特集掲載。表紙はうしおに。
『まんが王』(秋田書店)
公開から2カ月遅れて7月号で特集掲載。怪獣映画と妖怪を取り混ぜた誌面となっている。付録に妖怪図鑑がついた。

<漫画化>
水木しげるによって『妖怪百物語』として漫画化され、上記の『週刊少年キング』の12号で16頁、13号で16頁、14号で17頁と、3週にわたり、合わせて49頁が連載された。登場する妖怪軍は、実写映画に忠実な絵柄となっている。これを一つにまとめ、カラーグラビアと併せてB5版の小冊子にしたものが映画館で販売された。また、この『妖怪百物語』は一部手直しされて『妖怪長屋』と改題して後年単行本収録されている。





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