太平洋の嵐★★★ 1960年(昭35)4月26日公開/東宝/118分/ 総天然色/東宝スコープ |
||||||||
製作 | 田中友幸 | 脚本 | 橋本忍 国弘威雄 |
監督 | 松林宗恵 | |||
撮影 | 山田一夫 | 音楽 | 團伊玖磨 | 美術 | 北猛夫 清水喜代志 |
|||
特技監督 | 円谷英二 | 光学撮影 撮影 |
荒木秀三郎 有川貞昌 |
美術 | 渡辺明 | |||
合成 | 向山宏 | 照明 | 岸田九一郎 | 造形 | 利光貞三 | |||
出演-夏木陽介・鶴田浩二・三船敏郎・佐藤弁・上原美佐・三益愛子・志村喬・田崎潤・池部良・平田昭彦 |
「電送人間」から16日後の公開。ほぼ並行して撮影されたのだろう。 真珠湾攻撃とミッドウェイ海戦を主軸として構成されている映画。 元海軍士官である松林宗恵監督の戦争批判が全面に出ている。ラスト近くの、三船敏郎と田崎潤の幽霊カットは、監督自身が僧侶でもあるところからの発想だろう。 以下Wikiより転載 ---------------------------------------------------------------------------- 島根県江津市の浄土真宗の寺の五男に生まれる。 中学は広島新庄中学に入学、二年生から転校し広島市へ出た。1938年卒業後京都へ進み龍谷大学専門部を卒業。日本大学芸術学部に移り、在学中の1942年に、映画に仏心を注入したいと考え東宝撮影所の助監部に入る。 学部を短縮卒業して海軍第三期兵科予備学生となり、1944年、海軍少尉に任官、部下150名を連れて南支那廈門島の陸戦隊長となる。 戦後復員して東宝に復職。その後、東宝争議に際し、渡辺邦男、斎藤寅次郎らに従って新東宝に移った。 1952年に上原謙主演の『東京のえくぼ』で初監督。 藤本真澄プロデューサーの東宝復帰に伴い、新東宝を退社して東宝に復帰。 以降は、森繁久彌主演の『社長シリーズ』をはじめとする喜劇や『連合艦隊』をはじめとする戦争映画など、 多岐にわたる68本の劇映画を監督した。 自らの作家性よりも脚本の意図に忠実に撮影する職人気質で知られるが、仏心を描こうと常に心がけていたという。先輩の黒澤明、市川崑のように華々しい映画賞に恵まれる存在ではなかったが、大ヒットシリーズと特撮超大作のどちらも着実にこなし、上記の二人が不在だった1960年代後半には岡本喜八と並ぶ東宝のエース監督であった。市川とは特に仲が良く、1979年の『女王蜂』の応援監督として全く違和感のないBパートをこなしている。 そのほか、テレビドラマの演出なども担当、1980年からはフリーとなり、90年代以降は主に講演活動などに従事していた。 2004年3月には、故郷である江津市桜江町の「水の国/ミュージアム104"」内に、「松林宗恵映画記念館」がオープンした。 2009年8月15日、心不全のため死去。89歳没。 ------------------------------------------------------------------------------- 真珠湾攻撃の特撮シーンは「ハワイ・マレー沖海戦」のカラー・リメイク版の如く、同じカット・構図が随所に出てくる。 注目はミッドウェイ島の攻撃シーン。戦闘機からの主観カットが素晴らしい。 この映画で初披露された広大なプールでのミニチュア撮影と飛行機の操演技術、光学で描かれた銃弾の光跡、実際の火薬での爆発など、それまで培ってきた技術の見事なマッチングで、戦闘シーンを作り上げている。 この技術は間違いなく世界一のレベルだった事だろう。 余談だが、上原美佐が超絶に可憐で可愛い。 以下再びWikiより転載 ------------------------------------------------------------------------------ 松林監督の本編班は、千葉県の勝浦海岸に1/1スケールの飛龍のオープンセットを作成し、海が見渡せるリアルな撮影を実現させている。航空機もセットではあるが、零戦、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機などを、1/1スケールで表現している。 一方、戦闘シーンの特撮は、『ハワイ・マレー沖海戦』や『ゴジラ』で実績のある円谷英二が担当している。 真珠湾攻撃の一連の特撮シーンは、『ハワイ・マレー沖海戦』と同じ構図のものもあり、円谷自身による『ハワイ・マレー沖海戦』のカラー・リメイクとなっている。 東宝は本作のため、スタジオ内に総面積約1万平方メートルもの特撮用大プールを建設し、完成披露の際は出演者総出による記念式典まで行うほど注力した。この施設をフル活用して撮影された真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦などのシーンは、この時代の技術力として一級品であり、のちの東宝映画『連合艦隊司令長官 山本五十六』や『連合艦隊』などにも流用されている。さらに、ハリウッド映画『ミッドウェイ』にも本作品の特撮シーンが流用されている。 円谷の特撮班では、東宝特殊美術スタッフによって8メートルを超えるサイズのエンジンを搭載した自走式の戦艦のミニチュアが多数作られ、空母飛龍のものは全長13メートルにもおよんだ。ロケ先への搬入の際には、その大きさから車での搬出ができなかったため、製作した特美スタッフがこれを操縦し、隅田川[4]を出発して東京湾を経由し、三浦半島の撮影現場まで自走させた。 なお、艦上や航空機の撮影には防衛庁(現:防衛省)の協力も受けており、海上自衛隊のあやなみ型護衛艦艦上での撮影が行われているほか、帝国海軍機を模した塗装が施されたSNJ(T-6 テキサンの海軍型)練習機が登場している。艦艇のアップショットには当時の米海軍の艦艇を撮影したものも使用されており、エセックス級航空母艦の錨や艦尾が写っているカットが確認できる。 |
弊社の配信するコンテンツ・動画等の整合性・信頼性に関しては万全を期しておりますが、 それにより生じた損害に対しては一切 の保証を負いかねます。 弊社が提供するコンテンツを無断で複製すると、著作権侵害となります。 |
Copyright (C) 2020, zeicompany. All rights reserved.
Free to Link
|