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円谷英二的日本特撮映画史



潜水艦イ-57降伏せず★★
1959年(昭34)7月5日公開/東宝/104分/
モノクロ/東宝スコープ
 
製作 堀江史郎 脚本 須崎勝彌
木村武
 監督 松林宗恵
撮影 完倉泰一 音楽 團伊玖磨  美術 清水喜代志
 特技監督 円谷英二  撮影 荒木秀三郎
有川貞昌
美術 渡辺明
合成  向山宏  照明 岸田九一郎  助監督 中野昭慶
出演-池部良・三橋達也・平田昭彦・久保明・藤田晋・高田稔・伊藤久哉・アンドリュー・ヒューズ・マリア・ラウレンティ

最後まで面白く見れた。実話かと思ったがそうでは無いようだ。

実際の現役潜水艦での海上シーンと、セット内での画面がスムースにつながっている。
潜水艦内での生活描写は、息が詰まるほどだ。

海上での戦闘シーンは、波の大きさでどうしてもミニチュア然としてしまうが、海中シーンは迫力あり。
爆雷の種類によって、爆発の大きさが変化している所は、流石だ。

Wikiによると、池部良は実際に戦地に隊長として赴き、帰国している。艦長としては適役だ。
またモノクロ映画なのに、カラー用のブルーバック合成をしている。ラストの戦闘シーンだろうが、確かに抜けが良かった。

以下Wiliより転載
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海軍出身の松林宗恵監督は、海軍という独特の世界を描くにあたり、なにげない所作や軍装の細部に当たるまで神経を使ったといい、
それでもやはり当時の完全再現には至らなかったことを悔やんでいる。
艦上撮影に当たっては海上自衛隊の協力を受け、当時日本でただ一隻の潜水艦、「くろしお」を使用。百数十人の撮影スタッフが危険な海上撮影を敢行した。
また海上自衛隊はくす型護衛艦や護衛艦わかば他、駆逐艦、内火艇など、草創期の海上自衛隊艦艇を多数出動させて、撮影に協力している。

本作の特撮シーンでは、特撮用に手前が深く造られた小プールが用意され、サンゴや岩場を配置した海底が再現された。このプールの側面には撮影用の小窓が設けられ、魚雷の発射や海底から見た水面描写など、鮮やかな映像の数々が撮影された。
イ号を始め、各種船舶も20尺(約7m)を超える大型のミニチュアが用意され、主役のイ号は艦首だけのものや、実物大のブリッジも制作され、迫力のある海戦シーンが織り込まれている。

円谷英二特技監督は、本作においての合成カットに、精度を高めるため白黒作品ながらブルーバック合成を導入。
合成画面用にカラーフィルムが使われている。

特撮助監督を務めた中野昭慶は打ち合わせで「白黒なのにカラーフィルムを使うってんで、びっくりしました」と述懐しており、この異例の撮影技法には、東宝本社からも「なんでそんなに大量のカラーフィルムがいるんだ」と文句が出たという。
しかしカラーフィルムをモノクロに変換するというこの手法によって、ラストでの艦上の隊員、これを覆う水柱など、より明るくクリアでシャープな画像が実現されることとなった。

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池部良は1918年生まれ。

1942年の『緑の大地』のクランク・アップの翌日に陸軍に召集され、中国山東省に派遣された。大学卒ということで幹部候補生試験への受験を勧められる。
任期が長くなる(当時、兵隊のままだと任期は2年とされていた)ため断るが、上官に無理やり受けさせられ白紙で答案を提出したにもかかわらず甲種幹部候補生にされ、厳しい訓練を受けた。
1943年11月に見習士官に任官後、予備陸軍少尉となる。
1944年に南方戦線に移動される。竹一船団の輸送船「天津山丸」に乗船するが、5月12日に敵潜水艦に撃沈され]セレベス海に投げ出され10時間泳いだ後、海軍の艦船に救出されインドネシア北東部のハルマヘラ島へ配属された。

食料、弾薬ともに豊富なハルマヘラ島に配属された彼らはアメリカ軍のすさまじい艦砲射撃、空爆を受けてジャングルに逃げ込んだ。 その後は上官がすべて他島へ移動してしまったため、少尉ながら衛生隊本隊を任され終戦まで戦い、終戦時の階級は中尉だった。

1945年11月には進駐してきたオーストラリア海軍との交渉役を任され、単身で豪海軍駆逐艦に乗り込み人格者であった艦長とオールド・パーを飲み交わしている。
1946年6月まで抑留され、南方から苦労して復員船に乗る。他の隊の将校は海に放り込まれたりするが、池部隊では部下が円陣を作って隊長を守ってくれ、日本に帰る。
腸チフスに罹患した池部は俳優を続けるかどうか決めかねていたが、東宝や高峰秀子に熱心に請われ、特に高峰には市川崑を付き添いに疎開先の茨城県の山村にまで直接訪れて説得され、俳優に戻る。

178cmの身長と渋い容貌を生かして次々と主演作品をヒットさせた。

2010年、92歳で没。





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