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円谷英二的日本特撮映画史



連合艦隊
 
1981年(昭56)8月8日公開/東宝/145分/
カラー/シネマスコープ
 
製作 田中友幸 脚本 須崎勝彌  監督 松林宗恵
撮影 加藤雄大 音楽 服部克久  美術 阿久根厳
 特技監督 中野明慶  撮影 鶴見孝夫 美術 井上泰幸
光学撮影  宮西武史  操演  松本光司 助監督 浅田英一
出演-永島敏行・金田賢一・森繁久彌・古手川祐子・財津一郎・丹波哲郎・小林桂樹・高橋幸治・三橋達也・長門裕之・なべおさみ


東映の「203高地」大ヒットに便乗して、急遽東宝8.15シリーズを復活させて製作された大作映画。

監督の松林宗恵は約20年前の「太平洋の嵐」以来の戦争映画。
市井の人々からの視点での戦争映画を目指したようだが、どっちつかずの中途半端に映画になってしまった。
優等生である森繁一家や、現役の大和搭乗員である財津一家より、特攻隊員を送り出す長瀞町なべおさみからの視点で作れば傑作になったろうと思われる。
重厚な役者陣ではあるが、怒ってばかりの小林桂樹やら、台詞の極端に少ない藤田進からは人間性が感じられない。

特撮シーンは円谷映画からの焼き直しがほとんどだが、ラストの大和爆破カットのみは称賛に値する。
波の使い方とか飛行機の操演はいまひとつだが、爆破シーンのみはさすがの中野昭慶だと感じた。

以下Wikiより転載

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本作は、日米開戦前年の日独伊三国軍事同盟の締結から始まり、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、ソロモン諸島攻防戦、山本五十六の戦死、レイテ沖海戦などを経て、沖縄水上特攻作戦に向かった戦艦大和が坊ノ岬沖海空戦で壮絶な最期を遂げるまでの、太平洋戦争における連合艦隊の崩壊とその陰影を、ダイジェストながらも編年史として描いた初めての作品であり、東宝の、そして、松林宗恵監督自身の戦争映画の集大成として製作された映画[2]。世界第3位の規模を誇った旧日本海軍の連合艦隊が、1940年の日独伊三国同盟調印により第二次世界大戦=太平洋戦争(大東亜戦争)開戦に至り、約5年後の戦艦大和撃沈によって、その終焉を迎えるに至るまでの軌跡を、市井の2つの家族を中心にして描いた作品であり、エンガノ岬沖海戦を映画で取り上げた初めての作品である。
それまでの太平洋戦争をテーマにした戦争映画では、山本五十六などのような歴史に名を残す軍人を描いたものが多かったが、本作は「本郷家」と「小田切家」という、連合艦隊に関わった2つの架空の家族を中心にして、この時代と世相を描いている。実質的な主役は、本郷英一、本郷眞二、小田切武市、小田切正人の4人である。
本作で、この「市井の目から見た戦争映画」という様式が取られた背景には、監督の松林宗恵と脚本家の須崎勝彌に共通する、ある思い入れが介在している。両者はともに旧海軍の出身だが、彼らが過去に東宝で製作に関わった戦争映画は、いずれも英雄譚としての性格が強いものばかりだった。そのため、かねてより、「現在の日本の繁栄は無名の英霊達の犠牲の上に成り立っているのではないか、息子達を戦場に送り出した父母の思いは如何だったのか?」という疑問を抱いていたのだという。
東映所属俳優である鶴田浩二が『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』以来21年ぶりに東宝戦争映画へ出演。特攻をテーマとした東映戦争映画に多く出演した鶴田は当作品でも水上特攻部隊指揮官である伊藤整一中将を演じた。

製作
戦争映画にかけてはドル箱『8・15シリーズ』で実績がある東宝は、東映が『二百三高地』を製作中に大ヒットは間違いないと予想し、『二百三高地』が封切られた1980年夏には本作の製作を決定して準備を急ぎ、1981年夏の公開を決定した。東映は『二百三高地』に続き、戦記物第二弾として『大日本帝国』を用意したが、東映でこしらえたブームを東宝にさらわれた格好になり、競合を避けて『大日本帝国』を一年先延ばして公開した。

製作費は、当時としては破格の10億円。

特撮
この映画で使われた戦艦大和の模型は、石川島播磨重工業(現:IHI)の子会社によって9000万円の製作費を費やして縮尺1/20(13mサイズ)のものが作られた[5][2]。船体[注釈 3]はIHIクラフトが、艦橋や煙突、砲塔やマストなどの上部構造物は東宝美術と東宝特殊美術(現・東宝映像美術)が製作し、1981年1月20日に完成し進水式が行なわれた。2005年に開館した呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)で1/10の模型が公開されるまでは、最大の大和の模型であった。この1/20の大和の模型は、小型漁船用の水冷ディーゼルエンジンを動力とし、船体内部に3人が入って時速6ノットで自力航行できただけでなく、火薬とラジコン装置を用いて46cm三連装主砲の発射シーンを再現することもできた[注釈 4]。船体の前方にも舵がついており、プール内で楽に回頭できるようになっている。なお、坊ノ岬沖海戦の戦闘シーンのうち、遠景や、(ラストの)爆沈のシーンなどの撮影では、東宝特殊美術が中心になって製作した縮尺1/40の模型が使用された。

13mサイズの超大型のミニチュアが造られた最大の理由は、東宝撮影所敷地内の特撮用大プールではなく、外洋で撮影するためであった。しかし、この当時、船舶法などの関連法令の改正により、13mを超える(小型)船舶の海上での航行には、船舶への航海標識灯の設置、ならびに、船長や無線士の資格を持つ者が操船することなどが必要となっていて、結局、三浦半島沖での外洋ロケは見送られ、特撮用大プールでの撮影のみとなり、中野昭慶特技監督が思い描いたヘリコプターからの空撮は実現できなかった[6]。

空母瑞鶴についても、小型漁船用のディーゼルエンジンを動力とし、船体内部に1人が入って自力航行できる模型[注釈 5]が東宝特殊美術で製作された。
神奈川県茅ヶ崎市の柳島海岸に、瑞鶴の艦橋や飛行甲板、対空機銃などが実物大セットで再現された。また、東宝撮影所の敷地内には、大和の艦橋下部周りや、高角砲、シールド付の25mm三連装機銃が並ぶ船体中央部の最上甲板、1番副砲、さらに、艦橋最上部(防空指揮所、15m測距儀、21号電探)などが、実物大セットで再現された。東宝撮影所のスタジオ内には、瑞鶴の艦上機格納庫甲板や艦橋内部、ならびに、大和の第一艦橋内部や司令長官室などがセットで再現された。

本作のために製作された縮尺1/20の大和の模型は、撮影終了後に東武動物公園に寄贈され、直後にテレビドラマの撮影にも使用された。その後、船の科学館に譲渡されて長らく玄関脇の屋外に展示されていたが、2004年の年末に暴風雨によって横転し、上部構造物が損壊、修理不能と判断され解体・廃棄された。

本作で大和が初登場するシーンでは、これまで、ほとんどの映像作品で描かれることがなかった、2番・3番副砲を備えた最初期の艤装を復元している。

本作での大和や瑞鶴などのミニチュア撮影は、あえて波の縮尺を度外視して大きくした「磯波」で演出されている。これは、特技監督の中野昭慶が「迫力にこだわりたい」と意図したものである。また、背景の空(ホリゾントに描かれたもの)が曇天なのも、悲劇性を強調してのものであった。ラストシーンでの大和の大爆発(爆沈)シーンでは、大和の艦橋を凌駕する派手な爆発の炎が話題となったが、この爆発の撮影は、一度目のものは中野が「爆発は良いが波が気に入らない」ということとなったため、改めて撮り直され「磯波」で録り直した2テイク目が採用された。当時、「この爆発の火柱が大き過ぎるのではないか」と指摘があったが、中野は「それは間違い。実際はあんなものじゃなく、船の2倍くらいの大きな火柱が上がっている」とコメントしている。中野はこの爆発について、日本の尊厳に思いを馳せた「花」のイメージであったと語っている。この大爆発(爆沈)シーンには乗組員の描写が無いが、これも中野によると、「大和が主役だから」との趣旨による。

興行成績
配給収入は19億円(現在の興行収入に換算すると約32億円あまり)で、1981年に公開された日本映画の中では、興行収入・動員数ともに第1位を記録し、大ヒット映画となった。





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