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円谷英二的日本特撮映画史



怪竜大決戦
 ★★★
1966年(昭41)12月21日公開/東映京都/85分/
総天然色/シネマスコープ
 
製作 岡田茂
新海竹介
脚本 伊上勝  監督 山内鉄也
撮影 わし尾元也 音楽 津島利章  美術 矢田精治
 特技監督 -  撮影 赤塚滋
国定久仁男
美術 -
合成  松木春吉  照明 金子凱美 助監督 俵坂昭康
 記録 塚越恵江  -  -  - -
出演-松方弘樹・小川知子・大友柳太朗・天津敏・金子信雄・原健策


東映京都制作の時代劇怪獣映画。

特技監督はおらず、本編の山内鉄也監督が特撮シーンも演出したようだ。

ガマと竜の怪獣が戦う特撮シーンは、それなりに迫力がある。
東宝特撮のように、細かい編集をせず、なるべくロングのワンカットで押し通している。大映にも通じる、スタッフの意気込みが伝わる。

竜の怪獣の首が長すぎたのか、操演が下手で見苦しかったのが残念だ。これを見ると、東宝のキングギドラの操演技術がいかに優れているかが分かる。

ただ、合成技術は、同年期の大映京都「大魔神」や、東宝「サンダ対ガイラ」以上に優秀だと感じた。単純に、合成部分の境目が均等で、粗が目立たない。これは自社の現像所を持っていた、東映の強みなのだろうか?

結局、東映の怪獣ものはこれ一本となってしまったが、その技術は「仮面の忍者赤影」などに継承されて行く。

以下Wikiより転載

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東映が唯一製作した“怪獣“が登場する映画で、主君の仇討ちを果たさんとする、古典の自雷也物語がベースになっている。大蝦蟇や大竜、大鷲、大蜘蛛が登場する。同時上映は『黄金バット』(監督:佐藤肇/主演:千葉真一)

当時の東映京都撮影所長・岡田茂が1966年7月公開の『大忍術映画ワタリ』のヒットを受け、時代劇復興の望みを込め、時代劇の一路線として「特撮シリーズ」の路線化を決めた。特撮娯楽時代劇第二弾『冒険大活劇 黄金の盗賊』に次いで、第三弾として本作を企画した。製作発表は1966年夏で『冒険大活劇 黄金の盗賊』『怪竜大決戦』は同時に製作発表があり、『冒険大活劇 黄金の盗賊』は仮タイトルを『黄金島』、本作は『自雷也』と発表していた。

岡田は本作の企画経緯について「『怪竜大決戦』の主人公自来也というのは、かつて時代劇初期のスター尾上松之助の当たり芸で、同時に"活動写真ファン"を飛躍的に増加させた作品だった。しかし、当時は特撮技術を未熟で、ストーリーの面白さを充分に活かし切れなかった、今日の特撮技術を持ってすれば、もう一度"忍術ブーム"を招来することが出来ると信じている。配役的にはスポーティな魅力を持つ松方弘樹がその中心になる」
「『自雷也』はテレビで放映した作品中に『妖蛇の魔術』が視聴率20%以上というのにヒントを得て、時代逆行的ではあるが、映画化に踏み切った。何と言っても時代劇復興は東映が本家と照れずに理屈抜きで面白い作品を作っていきたい」などと話した。

『妖蛇の魔術』が何なのかは分からない。監督の山内鉄也は、岡田が人員整理のため、ベテランスターや監督、
脚本家を辞めさせて、ギャラの安い若手監督起用の方針により監督昇進した人で、当時岡田は「ひとりひとり、ぼくは巨匠たちに頼んで歩いた。あの怖い比佐さん(比佐芳武)に『もう東映には仕事が無いから辞めて下さい。こういう深刻な事情です』って頼んだら『馬鹿者!』って怒るかと思ったら『そうか、じゃあしょうがないな』って言って頂いて、ありがたかった」などと話していたという。

岡田はこの後、完全に時代劇製作を終了させるが、当時は新しい傾向のもので何とか時代劇を繋ぎとめようと試行錯誤していた。この時期の特撮物は、東映でもやらないといけないだろうと企画に挙げたものであった。

制作は東映京都撮影所で行われ、キャスティングは時代劇の重鎮が顔を揃えている。
同年の『大忍術映画ワタリ』で悪役を演じた大友柳太朗と天津敏のコンビが本作でも悪役を演じている。

尾形城のミニチュアはフルスケールのものが用意され、一見ミニチュアと気付かないほどのリアルな映像となっている。本作は特撮監督はおらず、監督の山内鉄也とカメラマンが試行錯誤しながら撮影した。尾形城の瓦の一部には八ツ橋を使用している。

大蝦蟇と怪竜、大蜘蛛の造型は、この年に東宝特殊美術課から独立した村瀬継蔵らが興したエキスプロダクションによって行われている。大蝦蟇はツノやトゲを外し、怪竜や大蜘蛛はそのままで、翌年同じ東映京都で制作されたTV番組「仮面の忍者 赤影」に登場している。

原典での綱手は蛞蝓に化身するが、本作では当時人気であった小川知子が演じるには相応しくないとして蜘蛛に変更された。
小川は東映から"青春路線"をやるという約束でスカウトされたが、青春ものは1本もさせてもらえず。「変な映画ばかりさせて約束が違う」と腹を立て、東映を退社した。

この作品以降、東映は同社独自の怪獣が登場する映画を製作することはなかった。
公開の翌年(昭和42年)には、日活がガッパ、松竹がギララという怪獣を登場させており、東宝のゴジラや大映のガメラと、日本の各大手映画会社が看板たる怪獣を作り上げるなか、東映だけが怪獣を看板にしなかった。

怪獣映画は1966年に発足した日本映画輸出振興協会から、融資を受けることができ、ガッパは製作費の八割、1億2800万円の融資を受けた。ガメラは海外興行だけで製作費をペイしたといわれるなど、海外でもよく売れたため、各社外貨獲得のため已むを得ず[12]製作したが、東映は任侠映画がよく当たったため、俳優中心のラインアップを組んだ。
また東映作品は1960年代まで、動画は売れていたが[14]、劇映画はほとんど売れず。東映作品が海外で売れるようになったのは岡田茂が社長に就任して海外販売に力を入れるようになって以降であった。

1966年暮れに、各社1967年製作方針の発表があり、東映は、鶴田浩二、村田英雄・北島三郎コンビが各5本、高倉健、梅宮辰夫、舟木一夫が各3本、千葉真一が2本、大川橋蔵、佐久間良子、三田佳子、緑魔子、藤純子が各1本の製作予定で、更に戦記大作(『あゝ同期の桜』)やエロ路線(『大奥(秘)物語』)も本格的に加わってくるため、それ以外の製作予定の特撮ものは『仮面の忍者 飛騨の赤影』(仮題、製作されず)1本だけで、怪獣映画は全く予定に挙がらなかった(春休みと夏休みの東映まんがまつりでテレビの編集版の特撮ものが上映されている)。

1970年には、怪竜大決戦と類似した部分を持つ台湾の特撮映画「小飛侠」が公開された。





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