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円谷英二的日本特撮映画史



ゴジラvsモスラ
 
1992年12月12日公開/東宝/102分
カラー/ビスタ
 
製作 田中友幸 脚本 大森一樹  監督 大河原孝夫
撮影 岸本正広 音楽 伊福部昭  美術 坂井賢
 特技監督 川北紘一  撮影 江口憲一
大根田敏光
美術 大澤哲三
特殊効果  渡辺忠昭  操演  松本光司 助監督 鈴木健二
出演-別所哲也・小林聰美・村田雄浩・小高恵美・小林昭二・宝田明・大竹まこと・篠田三郎・上田耕一・黒部進


前作「ゴジラvsキングギドラ」から1年後の公開。
以降、怪獣物は毎年の東宝正月映画となって行く。

脚本は前作の大森一樹で監督はこれが第二作目の大河原孝夫。

1961年公開の「モスラ」と同じような筋運び。ストーリー進行が緩慢で疲れる。
今回は「インディージョーンズ」の猿真似か、別所と小林がよりを戻そうと、何ら面白くはならない。

その分、特撮シーンが映える。
最初の三つ巴シーン、海中でのゴジラとバトラの戦いシーンが迫力満点。水疱の種類が細かく合成さりている。
丁寧な仕事をしている。

またラストの横浜ベイブリッジ、三つ巴の戦いが凄い。
操演怪獣二体は大変な撮影だったはずだ。このシーンも、モスラの吹き出す金粉の合成が素晴らしい。
ロングショットをうまく生かしたカメラワークも心地よい。ここらあたりのショットは円谷特撮を超えていると思える。

ラスト、隕石を阻止するために宇宙に飛び立つモスラは、バカバカしくてやってられない。

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大河原 孝夫(1949年生まれ)は日本の映画監督。千葉県出身。

経歴
1973年、早稲田大学教育学部卒業後、東宝に入社。当時の東宝は撮影所志望の新入社員は採用していなかったため当初はデスクワークを行っていたが、副社長の藤本真澄の口添えを得て三好邦夫とともに撮影所へ出向。助監督として、黒澤明、森谷司郎、降旗康男監督らに師事する。

1987年、自らの筆によるシナリオ『超少女REIKO』が第13回城戸賞で準入賞し、1991年、自らメガホンをとり完成させる。
当該作品にて本格的に監督デビューし、特撮を中心に活躍する。ゴジラシリーズは4作品を担当。1997年の『誘拐』は映画賞を多数受賞するなど高い評価を受けた。

作風
助監督時代の経験から、映画の面白さには脚本の出来が重要であると考え、自身の監督作品でも良い脚本を仕上げることを第一としていた。また、第1稿を最初に読むときが観客と同じ受け止め方ができるとして重視している。

特撮ものについては、SFXによる非日常世界を描くことで、観客に面白そうだと思わせ足を運ばせるための武器であると述べている。
東宝特撮作品では、特撮シーンは本編班ではなく特撮監督が率いる特撮班が担当しているが、『ゴジラvsメカゴジラ』でのベビーゴジラのシーン、『ヤマトタケル』でのクマソガミのシーン、『ゴジラvsデストロイア』でのデストロイア幼体のシーンなど、大河原は本編班での特撮シーンの撮影を担当することが多かった。

『ゴジラvsデストロイア』に出演した林泰文は、大河原について画コンテに沿った明確な画面づくりを行っており、事前に俳優の動きを細かくプランニングした丁寧な演出であったと証言している。

作品
助監督
1973年 - 『日本沈没』
1974年 - 『ノストラダムスの大予言』
1975年 - 『青春の門
1976年 - 『大空のサムライ』
1977年 - 『青春の門 自立編』
1980年 - 『影武者』
1981年 - 『連合艦隊』
1982年 - 『海峡』
1984年 - 『ゴジラ』
1987年 - 『「さよなら」の女たち』
1989年 - 『あ・うん』
監督
1991年 - 『超少女REIKO』
1992年 - 『ゴジラvsモスラ』
1993年 - 『ゴジラvsメカゴジラ』
1994年 - 『ヤマトタケル』
1995年 - 『ゴジラvsデストロイア』
1997年 - 『誘拐』
1999年 - 『ゴジラ2000 ミレニアム』


以下Wikiより転載

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『ゴジラvsモスラ』は1992年に公開された日本映画で、「ゴジラシリーズ」の第19作である。1992年(平成4年)12月12日公開。キャッチコピーは「極彩色の大決戦」。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ。

観客動員数は平成(VS)ゴジラシリーズ中最多の420万人、配給収入は22億2000万円(1993年邦画配収第1位)を記録。正月興行の東宝配給邦画としては、1973年(昭和48年)末公開の『日本沈没』が保持していた
配収記録を19年ぶりに更新した。2016年公開の『シン・ゴジラ』(観客動員数550万人)が更新するまで、平成以降制作のゴジラ作品で最大のヒット作だった。

製作経緯
当初の企画案は『モスラVSバガン』というモスラが主役の映画だった。この企画は1990年を公開予定とし、大森一樹によって脚本が準備された。しかし『ゴジラvsビオランテ』の評判を見て、次企画はゴジラ主役の映画『vsキングギドラ』となり、その次回作として『ゴジラVSギガモス』や先の『モスラVSバガン』を原案に、敵怪獣をバガンからゴジラに変更し、『ゴジラvsモスラ』に落ち着いた。
『ギガモス』が制作されなかったのは、登場予定だったメカニコングが権利関係が東宝とRKOとの間で曖昧であったためこれを明確にしようという意図もあったが、RKO側から製作した場合トラブルが生じる可能性があるとの回答が出されたためである。東宝プロデューサーの富山省吾は、正月映画であるため新しい企画でのチャレンジよりも盤石の布陣とすることを選んだ旨を語っている。
別案には、前作の続編として宇宙怪獣のキングギドラが登場する『キングギドラの逆襲』という企画も存在したが、キングギドラが連続することを避け本作品に至った。

監督は、前作までの大森一樹に替わり、前年に『超少女REIKO』で監督デビューした大河原孝夫が務めた。
大森は脚本を担当し、監督にも予定されていたが他の仕事との兼ね合いから実現には至らなかった。大河原の起用は東宝の自社監督に務めさせる意図によるもので、東宝全体での決定であった。

大森は、前作を『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に着想をえたことから、本作品では『インディ・ジョーンズ』をやろうとしたといい、初期には『モスラ』の影響も引きずっていたと述べている。また、バトラには『トレマーズ』の要素も取り入れているという。
東宝プロデューサーの田中友幸は、大森に対し『モスラ』と『モスラ対ゴジラ』を一本にまとめるという要望を伝えており、他のスタッフにも主役はモスラであると述べていた。

配役
手塚雅子役の小林聡美は、大河原の推薦によるもので、大森が監督した映画『恋する女たち』に出演していた縁から富山も賛同していたという。子役の米澤史織の撮影は夏休み期間中に行われたため学業への影響はなかったが、夜間の撮影が多かった。
『ゴジラvsビオランテ』以来の出演となった田中好子は、自身がモスラを愛好していたことから出演を熱望し実現に至った。
作曲家の本多俊之が自衛隊員役で特別出演している。大河原孝夫によると、本多が伊福部昭とゴジラ映画の大ファンだったことから依頼されてのことだという。

撮影
東宝特撮作品としては初めてハイビジョン合成を採用しており、コスモスの登場場面などに使用された。コスモスの撮影はすべて本編班で行われた。特技監督の川北紘一は、ハイビジョン撮影には専用の中継車などが必要で予算もかさむため、最小限の部分にしか用いなかったと証言している。

冒頭の遺跡が崩壊するシーンは、脚本では抜けていく床から逃れるという描写であったが、横のストロークしかないため、大河原は階段にすることで縦のストロークを演出している。結果として、撮影には3日かかったという。

ゴジラが放射熱線を吐くシーンでは、本編班の大森は人間側のリアクションのため、光のエフェクトを過剰気味に演出している。
川北からは「オーバーじゃないか」と言われたが、大河原は成功したと自負している。一方で、クライマックスでは登場人物が戦いの傍観者になってしまったことを反省点に挙げており、次作『ゴジラvsメカゴジラ』では登場人物がメカゴジラのクルーとして乗り込む形となった。

ラストのモスラ着陸シーンの舞台は大黒埠頭、横浜スタジアムなど検討されたが、脚本では羽田空港になった。結局許可が下りず、立川飛行場(立川駐屯地)で撮影は行われた。インファント島探検シーンのロケは亜熱帯広葉樹や木生シダの原生林が広がる奄美大島で行われ、地主の好意で地滑りのカットなどが撮影できたという。ただし吊り橋のカットは、福島県の飯坂の摺上川の渓谷で撮影された。

特撮
特撮班は1992年5月8日にクランクイン。数日間かけて名古屋や東京の実景ロケーション撮影が行われた。

東宝スタジオでの撮影は5月19日から開始された。同日から28日にかけて行われたフィリピン沖のゴジラとモスラ幼虫、バトラ幼虫の戦いの撮影は特撮用大プールを使用している。

5月29日から6月6日には、東宝スタジオ第9ステージにて国会議事堂でのモスラの羽化シーンが撮影された。国会議事堂での羽化は1961年の『モスラ』の初期案を復活させたものである。成虫の羽化シーンにはCG画像も製作されたが、これは未使用となった。川北は、CGではまだ感情表現がうまくいっていなかったと述べている。

6月9日にはオープンセットでのバトラ幼虫の名古屋城などの侵攻シーン、6月10日には第6ステージの疑似海底でのゴジラとバトラ幼虫の対決シーンが撮影された。後者は、通称「疑似海底」と呼ばれるスタジオの海底セットを使用している。

6月17日から22日には、第9ステージでバトラ幼虫の名古屋市街侵攻シーンが撮影された。さらに並行して、ミニチュアの一部を流用しモスラ幼虫の赤坂侵攻シーンの撮影も行われた。前者は縦移動、後者は横移動の構図に配置を変えている。

6月24日から26日には、第9ステージでゴジラが丹沢山中でメーサー部隊と対決するシーンを撮影。これに並行して、オープンセットでのゴジラが富士山から出現するシーンや、インファント島の嵐のシーンなども撮影された。しかし、後者でのモスラの卵が土砂崩れで露出するシーンの撮影で水落しや床の支柱をはずす通称「ばたんこ」などの仕掛けが用意されていたが、撮影が遅れたためセッティングした状態で放置されてしまい、その間に降った雨を土砂が吸収したことにより重みで支柱が外れなくなり、仕掛けをやり直すこととなった。

7月1日から9日には、大プールでモスラの卵を乗せた浮きドックやバトラ幼虫の戦闘シーンなどの撮影が行われ、合間を縫って海中のゴジラや氷山でのバトラ幼虫のシーンなどが第10ステージで撮影された。

7月18日から23日には、第9ステージでみなとみらい地区の撮影が行われた。ラストのみなとみらい21のセットは3,000個以上の電飾を使用し、製作費8000万円、製作日数1か月をかけて製作された。ランドマークタワーのミニチュアは高さ6メートルにおよぶ。総重量は200キログラム近いためそのままでは自重で崩壊することから、美術の大澤哲三は内部に鉄骨を組んで段階的に組み立てるという手法で作り上げた。
特殊効果の渡辺忠昭は、ランドマークタワーの倒壊シーンはうまくいった忘れられない撮影に挙げており、現場で唯一拍手が起こったと述懐している。前作まではミニチュア内部の電飾は美術班が外部に依頼していたが、本作品では建物の数が少ないことから特技照明班が手掛けた。

コスモクロック21の位置がずれていたり、横浜赤レンガ倉庫がある新港地区が設置されていないなど現実とは異なる部分がある。
コスモクロックの電飾は本物と同様に時計となっており、助監督を務めた神谷誠はカットごとに時間を調整したり、秒針の光る速さをカメラの撮影速度に合わせるなど、苦労した旨を語っている。

横浜中華街上空をモスラが飛ぶシーンは、平台2枚程度のミニチュアで撮影された。横浜ベイブリッジのみ、オープンセットに建てられた。

8月1日から細かい撮影を行った後、特撮版は12日にクランクアップした。

オープニングの嵐のシーンは一部『モスラ対ゴジラ』の映像を流用している。このオープニングの特撮の撮影日(7月2日)に、ティム・バートンが特撮の川北組を表敬訪問している。
バトラが眠っている氷塊が溶けるシーンに『ノストラダムスの大予言』の映像の一カットが使われている。また、名古屋城の石垣破壊シーンには、テレビドラマ『日本沈没』第4話の姫路城倒壊シーンを流用している。

オープニングの隕石、ゴジラのシミュレーション画像のCG製作はナムコ社による。ナムコとのタイアップにより、ナムコ・ワンダーエッグにて『モスラ』の公開日である7月30日にエキストラを一般公募しての撮影が行われた。




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